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2020.10.30

『まんが訳 酒呑童子絵巻』 絵巻から漫画への再生、漫画の技法の力

 古くからよく知られた伝奇物語を描いた『酒天童子絵巻』『道成寺縁起』「土蜘蛛草子」の三つの絵巻。その絵巻を「まんが」として作り替えるという、極めてユニークかつ意義深い試みに挑んだ一冊であります。

 絵巻、あるいは絵巻物――つまり絵とそれを説明する詞書を交互に並べ、横方向に繋ぐことで、一つの物語を描いた絵画については、ほとんどの方が教科書や、あるいは博物館で御覧になったことがあるのではないでしょうか。
 この絵巻は、連続した流れ・動きをつけられるという点で、印刷技術が発達して冊子本が普及するまで、物語を描く「メディア」として大きな意味を持つものであったと想像します。

 本書は、そんな物語を描いた三つの絵巻を題材としています。
 伊吹山千丈ヶ岳に潜み、都の姫君たちを次々と攫う鬼・酒呑童子とその眷属に対し、神仏の加護を受けた源頼光と四天王が血みどろの死闘を繰り広げる『酒天童子絵巻』
 美僧・安珍の戯れが清姫を蛇体の魔物に変え、道成寺に惨劇を起こす『道成寺縁起』
 宙を行く髑髏に導かれて怪しの館に踏み込んだ源頼光と渡辺綱が、次々現れる妖怪変化、そして巨大な蜘蛛の妖と対決する『土蜘蛛草子』

 いずれも現代に至るまで、謡曲や歌舞伎をはじめ、現代の小説や漫画、ゲームに至るまで、様々な形で描かれてきた(伝奇)物語の古典中の古典ですが、本作はその源流――とはいえないまでもそれに近い内容を描いており、それを辿るだけでも、大いに楽しめるものであります。


 しかしもちろん、本書の最大の特徴であり、かつ優れた点は、その絵巻を、漫画として再生していることにほかなりません。

 共に絵と言葉によって物語を描くメディアとして、一つの繋がりを持ったものとして――有り体に言えば絵巻が漫画の先祖であるとして――語られることが少なくない両者ですが、しかし単純に同列に扱って良いものかどうかは、実際に絵巻を見てみれば瞭然でしょう。

 例えば個々の絵の配置や大小の縮尺、あるいは絵と台詞の(一対一の)対応によって、一定の流れ、動きを能動的に作り出す――そんな技法は、漫画にあって、絵巻にはないものといえるでしょう。
 我々素人にとっては、絵巻を一連の物語として感じるのが難しいことがままありますが――もちろん、詞書が読めないという点はあるとしても――それは、あるいはこの点が理由ではないかとも感じます。

 しかし本書は、まさにこの漫画の技法を施すことによって、絵巻に描かれた内容を、誰にとってもわかりやすい形に、「翻訳」しているのであります。
 これによって、本書は三つの物語を、現代人の我々にとって味わいやすい形として提示することに成功しているのですが――同時に本書は、我々が普段何の気なしに読んでいる漫画が、様々な技法を駆使して成立していることを再確認させてくれるものでもあります。

 この辺り――全く失礼な言い方で恐縮なのですが――現代人の目からすれば、他の二作と比べても明らかにプリミティブな絵柄の『道成寺縁起』が、本書においてまんが訳されることで、息を呑むようなサスペンスとして再生している点に、はっきりと表れているように感じられます。
 個々の絵だけみればユーモラスですらあるものが、しかし漫画となってみれば――たとえば清姫が安珍を追いながら異形に変化していく姿や、あるいは蛇体の清姫が道成寺に乗り込んで僧侶たちを蹴散らす場面など――大きな迫力を生み出しているのは、これはまさに漫画の技法のなせる技でしょう。

 絵がそれほど緻密ではないのに動きを感じさせてくれる漫画や、逆に絵は上手いのに妙に読みにくい漫画があるのは、この技法の巧拙によるものなのか――などと、思わぬところで再確認させられた次第です。


 絵巻にまんが訳を施すことによって、絵巻が描く物語そのものの面白さを再生させるとともに、絵の中から動きを生み出す漫画の技法の存在を――さらに言えば、絵巻と漫画の関係性・距離感を――明らかにする本書。古典好き・伝奇物語好きはもちろんのこと、普段漫画に親しんでいる方こそ手にとってもらいたい一冊であります。


『まんが訳 酒呑童子絵巻』(大塚英志監修/山本忠宏編 ちくま新書) Amazon

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