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2020.10.10

宮部みゆき『きたきた捕物帖』 世の悪意に挑む二人の物語、開幕!

 満を持して、と言うべきでしょうか――宮部みゆきの新作時代小説は、深川を舞台にした捕物帖シリーズの第一弾。ちょっと頼りない文庫売りの北一と、謎だらけの風呂屋の釜焚き・喜多次、二人のきたさんをはじめ、様々な個性的なキャラクターたちが活躍する物語の開幕編であります。

 深川にその人ありと知られた岡っ引きの千吉親分。その彼が、ふぐに当たって死んでしまったことから、この物語は始まります。
 自分に何かあったら十手は返上する――そんな親分の遺言によって、子分たちが散り散りになる中、一番下っ端だった北一は、親分の表稼業の文庫屋を継いだ一番弟子の下で、文庫の振り売りを続けることになるのでした。

 そんな中、新しく住むことになった長屋の差配人、通称・富勘から、おかしな出来事を聞かされた北一。長屋の大家の遠縁に代々伝わる「呪いの福笑い」によって、家の人々に酷い災いが降りかかっているというのです。
 その呪いを収める方法はわかっているのですが、それは常人には難しいもの。ところがそれに名乗りを上げたのは、病で目が見えなくなった千吉親分のおかみさん・松葉で……


 そんな第一話「ふぐと福笑い」から始まる本作は、あらすじからもわかるように、なかなかユニークな物語です。何しろこの第一話では、主人公である北一は事件(?)解決のためにさして解決するわけでもなく、実際に活躍するのは松葉なのですから。

 そして以降の物語――
 不気味な文句の書かれた双六で遊んだ三人の子供たちが、そのマス目に書かれた通りの目に遭い、ついには神隠しまで起きてしまう第二話「双六神隠し」
 思わぬ出来事からならず者の恨みを買い、拐かされてしまった富勘を巡る騒動と、場末の風呂屋のおかしな釜焚きの謎を描く第三話「だんまり用心棒」
 大店の跡取りと後添いの祝言の場に、死んだ跡取りの先妻の生まれ変わりを名乗る娘が現れたことから、奇怪な事件が続発する第四話「冥土の花嫁」

 これらもまた、必ずしも北一が探偵役を務めるわけではない――というより、彼はむしろサポート役に回る場面が中心となります。しかしこれは別に不思議ではないかもしれません。そもそも彼は千吉親分の跡を継いだわけでも何でもなく、文庫屋のいわば下請けの身分に過ぎないのですから……


 しかし、それでは北一は全くの無力なのでしょうか。そして仮に無力だったとしても、目の前の事件を、悩み苦しむ人々を見過ごしにするのでしょうか? いえ、そうではありません。まだごく普通の、それもちょっと頼りない部類の若者であっても――彼の心には正義感や良心、誠実さといった、人間の善き心が確かに脈打っているのであります。

 もちろん、世の中は彼のような善人ばかりではありません。いやむしろ、様々な形の悪意が――己の欲のために人を殺めたり、人を苦しめることを楽しみとしたり、そこまでいかずとも人を平然と傷つけ、嘲ったりといった――この世には無数に存在しています。
 本作で描かれるのは、そんな世間の悪意に対して、まだ(そう、まだ!)微力ながらも抗おうとする北一が、彼を取り巻く人々――松葉や富勘、そして某家の用人・新兵衛といった個性的で心優しき人々の力を借りながら、一歩一歩前に踏み出していく姿なのです。

 そしておそらくはそんな北一を支える最も大きな存在が、もう一人の「きた」である喜多次なのでしょう。
 行き倒れていたところを風呂屋に拾われ、薄汚い身なりで黙々と働く彼は、しかし常人離れした身のこなしと技を持つ謎の男。むしろ不気味ですらある喜多次ですが、しかしある出来事がきっかけで(そしてそれも北一の誠実さによるものなのですが)北一に力を貸すようになるのです。

 実のところ、この喜多次の登場がかなり遅く、また北一と本格的にコンビを組んだわけでもありません。この辺りは、シリーズ化を前提としているからこそ初めてできる、大家だからこそ描ける作品というべきかもしれません。
 しかしそれは、裏を返せば、この先しっかりと腰を据えて物語が展開していくことの証なのでしょう。

 そしてそんな物語の先を、北一と喜多次がこの先活躍する姿を見てみたいと、強く感じさせられる――そんな作品であることは、間違いないのであります。


 ちなみに本作、『桜ほうさら』『初ものがたり』といった作者の他の作品とのリンクを、随所に見せてくれるのが楽しいところでもあります。その点も含めて、やはり大いに先が気になる物語なのです。


『きたきた捕物帖』(宮部みゆき PHP研究所) Amazon

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