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2020.10.07

伊田チヨ子『ベルと紫太郎』第1巻 生の大正時代に生きる若い二人の物語

 大正時代といえば、フィクションの世界では「大正浪漫」というワードが真っ先に浮かびますが――本作は華やかなようでいてそうでない、しかし明るく楽しい生活を送る大正時代のカップル、それも浅草の舞台女優と財閥の三男坊というユニークな二人を主人公とした四コマ漫画であります。

 浅草の小さな芝居小屋・田能久座で看板女優を務める大沢ベルこと鈴、そして彼女の一番の「ファン」である野原紫太郎は、上野黒門町の長屋で同棲する仲。
 貧乏は嗜みと(負け惜しみ的に)嘯くベルと、生まれてこのかた金の苦労をしたことがない紫太郎と、全く正反対の人生を送ってきた二人ですが、今は仲良く一緒に貧乏生活を満喫する関係であります。

 本作はそんな二人の平凡な(?)日常を、当時の文化風俗をふんだんに盛り込んで描いた四コマ漫画です。
 しかし、「シンデレラ」を演じることになったベルが役作りに取り組んだり、二人で初めて洋食のディナーに出かけたり、上野のお稲荷様が長屋に押しかけてきたり、大晦日の掛け取りから逃れるために四苦八苦したり――ここで描かれるのは、「大正」に対する一般のイメージに重なるようでいて、ちょっと異なる世界かもしれません。

 なかにはほとんど江戸時代の、それも落語のような(というより落語ファンの作者が巧みに換骨奪胎しているのですが)生活のエピソードもあったりして、最初はちょっと戸惑うかもしれませんが――しかしこれもまた、大正のリアルと言うべきでしょう。
 「文明開化」から約50年、大きく日本の文化や生活様式は変わったようでいて、しかし人々の、特に庶民の暮らしはそれまでの時代と地続きであって――言い替えれば、江戸時代の名残がまだまだ諸所に残っていたことは、当時の様々な記録から窺えるのですから。

 本作は、そんなある意味等身大の大正時代を、全く異なる二つの世界に生きてきた――それもベルの場合、舞台という「虚構」の世界にも身を置いているのがさらに面白い――二人の視点から、描くことになります。
 それは時に、現代の我々から見れば随分と奇妙で、あるいは不便に映るかもしれませんが――しかしそれもまた、現代の我々となんら異なることのない人間の営みであり、何より決して悪くはないものだということを、本作は教えてくれるように思えます。


 そしてもちろん本作はそれだけではなく、ベルと紫太郎のラブコメでもあるのですが――こちらはなかなか慎ましやかなのも、また面白く感じます。
 何しろ周囲の人間から見ても二人の関係は謎だらけ、「ベルと紫太郎は……なんだろ?」と首を傾げられてしまったりするくらいで、もしかしてこの二人、プラトニックなのでは――と思わされたりもするのですが、その辺りは美しいファンタジーと言うべきなのかもしれません。

 特に、ハレー彗星の接近を巡る騒動を描くエピソードでは、二人を中心とした人々のドタバタぶりを描きつつ、二人の関係が一歩前進する様を描くのが実に微笑ましく――考証については相当丹念な本作には珍しく、大きく史実から離れた(その点はもちろん断り書きがあるのですが)展開をあえて描いたのはこのためであったか、と感心した次第です。


 何はともあれ、一見珍しく見えつつも、しかし確かに存在した(と信じられる)生の大正時代を描いた物語として――そして何とも慎ましくも微笑ましい若い二人の暮らしを描いた物語として、まことに愛すべき作品である本作。
 読めば「あの二人なんか好きだぜ俺…」という作中の人物の気持ちになってしまうこと間違いなし、末永くこの素敵な世界が続いて欲しい作品であります。
(舞台が大正11年というのが、いささか気になるところではありますが……)


『ベルと紫太郎』第1巻(伊田チヨ子 KADOKAWA) Amazon

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