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2020.10.03

岡田屋鉄蔵『MUJIN 無尽』第8巻 モラトリアムの終わり 泰平の終わり

 これまででおそらくインパクトのある(書店で思わず眼を逸らしそうになったほどの)高杉晋作が表紙の第8巻ですが、もちろん主人公はあくまでも伊庭八郎。この巻ではついに八郎が江戸を離れ、京に向かうことになります。そしてそこで彼が見たもの、出会った者とは……

 いよいよ舞台は文久3年(1863年)、冒頭ではそれまでの日常には当然あったものが突然失われ、困惑と将来への不安に揺れる――という、何だか非常に我々にとって他人事には思えない江戸っ子たちの姿が描かれるこの巻。
 なるほど、確かに幕末史において文久3年から翌年(元治元年)にかけては激動に次ぐ激動の時期であります。馬関戦争、薩英戦争、八月十八日の政変、池田屋事件、禁門の変、四国艦隊下関砲撃、長州征伐……見ているだけでクラクラしてくるようなイベントラッシュ(そしてそのほとんどに絡んでいる長州)、その渦中の人間はたまったものではないでしょう。

 そしてそんな中で、ついに八郎にも出番が回ってくることになります。如何に剣の道では講武所にその人ありと知られた八郎とはいえ、これまでは無役の若者に過ぎません。それがついに奧詰衆――すなわち将軍親衛隊の、その候補に選ばれたのですから、八郎が喜ぶまいことか。
 そしてその奧詰衆に正式に任命されるためのテスト的な意味合いもあって、八郎は将軍上洛の警護に加わることになって……

 というわけで、この巻の約1/3ほどを使って描かれるのは、京とその往復の旅路での八郎たちの姿――そう、「伊庭八郎征西日記」に当たる部分であります。
 「伊庭八郎征西日記」は、将軍上洛の旅に加わった八郎が記した、約半年間の日記。その勇ましい題名にもかかわらず、基本的に当時の幕臣の日常的な勤務風景と、あとは非番にうまいものを食べたり観光地に行ったりという、八郎の平穏無事な日常が描かれた日記であります。

 しかし本作は、その内容を踏まえつつも、そのままなぞるわけではありません。いや、そこに記されていない、あったかもしれない――いやあって欲しい出来事が、描かれることになります。
 それは一足先に京に向かった試衛館の面々との――すなわち、新選組との再会であります。ありますが、それはこちらが期待していたような、和やかな、あるいは賑やかなものではありません。その一人である土方からは、むしろ殺伐とした、敵意が籠もっているとすらいえる視線で、八郎は遇されることになるのですから。

 ……考えてみれば、試衛館の面々が浪士組に加わってからこの時に至るまでは、上に述べたまさに激動の期間に当たります。そして彼ら自身、清河八郎の「裏切り」あり、新選組旗揚げあり、芹沢らの粛正あり――と、到底綺麗事では済まされない日々を送ってきたこともまた事実であります。
 そんな彼らが、後からのんびりやって来て、平穏な城勤めに明け暮れる者たちを見たとすれば、何を想うか? それも、自分たちが苦労して苦労して、ようやくその末端に辿り着いた武士という身分を、生まれながら持つ者たちを……

 もちろん、八郎が苦労知らずの坊ちゃんなどではないことは、これまで本作を読んできた身としては良く知っています。しかし、この巻の前半で描かれていたように、吉原の花魁と名残を惜しむ八郎の姿に、違和感を覚えたのもまた事実であります。
 例えてみれば八郎がいまだモラトリアムの時期を過ごしているとすれば、新選組の面々は一足早く世間に出て、その厳しさを知った身といえるでしょうか。そう考えれば、半ば八つ当たり的な土方の態度にも、頷けるものがあるように思うのです。

 しかし、八郎もまた、奧詰衆に正式に任じられることにより、モラトリアムを脱することになります。そしてそれと前後するように、徳川幕府の泰平の世も終わりを迎えることになるのであります。八郎を、幕府を(そして新選組を)この先何が待っているのか、我々は良く知るわけですが――そこで描かれるものが悲しみだけでないことを、心から祈りたい気分なのであります。


 ちなみに、この巻の巻末には、番外編として鎌さん主人公の「俺の鎌めし」を収録。道場での鎌さんの稽古風景と、礼子への料理指南を描いた短編で、本編がだいぶシリアスなだけに、貴重な息抜きであります。


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