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2020.10.06

田中啓文『元禄八犬伝 一 さもしい浪人が行く』 八犬伝パロディ ヒーローは小悪党!?

 伝奇小説の源流の一つであり、今なお様々な形で描かれている『南総里見八犬伝』。私も八犬伝とつけばつい手に取ってしまうくらいのファンですが、そんな人間に見逃せないのが本作――元禄時代を舞台に、八犬伝の登場人物、それも悪役たちが巨悪を向こうに回して暴れまわる痛快な活劇であります。

 時は元禄、所は大坂――生まれてこの方定職についたことなく、ゆすりたかりをはじめ金のためなら何でもやるという、その名の通りさもしい小悪党の網乾左母二郎。
 同居する怪盗・鴎尻の並四郎や、腐れ縁の妖婦・船虫とその日暮しを送っていた左母二郎は、ある日、見かけた僧侶と美しい娘から金の匂いを嗅ぎつけ、二人を脅しにかかりるのですが――実はかなりの遣い手であった僧侶も娘相手に苦戦する羽目に。そして双方痛み分け状態のところで、丶大と名乗る僧は思わぬ提案をするのでした。

 実は娘――実は女装の美男子・犬塚信乃――は、犬公方・徳川綱吉の直属の配下「八犬士」の一人。彼らは失踪した綱吉の娘・伏姫を探して、大坂を訪れたというのであります。
 伏姫の手がかりとなるのは、彼女が持つという仁義礼智信忠孝悌の水晶の数珠のみ。そして彼らは、宝井其角が開催するという矢数俳諧と通し矢の一大勝負にそれらしき水晶玉が賭けられていると聞き、探索を行っていたというではありませんか。

 残念ながらその珠は別物であったものの、勝負の陰に何やら悪事の匂いを嗅ぎ取り、左母二郎に探索を持ちかけた丶大。人に使われるのはまっぴらごめんだが、そこに賭けられた六千両の大金は自由にしてよいという言葉に、左母二郎たちも協力することになります。
 しかし単なる悪党たちの悪巧みと思われた事件の裏には、得体の知れぬ悪意の影が……


 というあらすじを見ればわかるように、本作は江戸時代を舞台とした八犬伝のリライトというよりも、八犬伝のキャラクターを江戸時代に移し替え、自由に動かしてみせたパロディ的な色彩の強い作品であります。

 何しろ本作の八犬士は、犬大好きの犬公方・綱吉が、犬の付く者たちを全国から集めた直属の配下という設定。何故元禄なのか? というのはこれはやはり犬公方からの連想なのかなあ――と思いますが、思い切った設定にもかかわらず、八犬士たちのビジュアルやキャラクターは実に「らしく」、そのギャップが何とも楽しいのです。
 しかしやはり何と言っても本作の最大の特長にして魅力は、あくまでも彼ら八犬士は脇役であり、主役を張るのは八犬伝では悪役だった連中であることに尽きます。

 原典では色悪的な造形で、浜路に横恋慕して信乃を罠にかけた網乾左母二郎。典型的な毒婦として幾度となく八犬士と関わり、苦しめた船虫。その船虫の最初の夫として登場した盗賊の並四郎。
 いずれも原典では滅ぼされるべき悪人として描かれた面々が、本作では――こちらは八犬士と異なりかなりアレンジしたキャラクターですが――悪に強い悪として大活躍するのですから驚かされますが、しかしこれが面白い。

 このトリオは人助けや自己犠牲の精神など欠片もない、世の中に迷惑をかけて暮らしている小悪党。特に左母二郎などはちょっと感情移入しにくいキャラクターにはじめは見えるのですが――しかし物語が進んでみると、どこか抜けたところがあって、愛嬌が感じられるようになってきます。
 何よりも本作で彼らが対峙する悪党は、突き詰めれば暮らしのために悪事を働いている左母二郎たちとは違う、むしろ悪のための悪というべき邪悪な連中。そんな連中の鼻っ柱を、さもしい小悪党たちがへし折っていくのが実に痛快なのです。


 そしてまた、彼らが挑む事件もまた実にユニークかつ、ミステリ味が濃厚なのが嬉しいところであります。
 矢数俳諧――一昼夜に独吟できる句数を競うマラソンイベント――に挑む三流俳人が、かの西鶴に匹敵する数万もの句を詠むという不可能を可能とするカラクリに挑む第一話。そして犬山道節とともに不可解な神隠しに挑む第二話と、物語の中心に謎解きが据えられているのもまた、本作の大きな特長です。

 さらに物語全体を貫く巨大な謎として、大坂を狙う巨大な影――護持院隆光の祈祷の最中に姿を見せるというケレン味も実にいい――という伝奇味も注目すべきところでしょう。
 本作のラストではその正体の一端が明かされるのですが――これがまた無茶苦茶なようで、確かに綱吉とは犬に関して因縁のあるという伝奇味溢れる存在なのがたまりません。

 八犬伝パロディというだけでなく、ユニークな時代伝奇小説として――この先の展開が楽しみで仕方ない物語の開幕であります。


『元禄八犬伝 一 さもしい浪人が行く』(田中啓文 集英社文庫) Amazon

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