伊藤勢『瀧夜叉姫 陰陽師絵草子』第1巻 原作から思い切り傾いた伝奇的晴明伝
以前連載開始時に取り上げた、伊藤勢による新たな『瀧夜叉姫』の単行本第1巻が刊行されました。原作は言うまでもなく『陰陽師 瀧夜叉姫』――これまで歌舞伎やドラマ、そして何よりも漫画化と様々なメディアの題材となった物語が、全く新たな、そして作者らしい形で描かれることになります。
今日も今日とて安倍晴明の屋敷で酒を飲む源博雅。殿上人が一介の陰陽得業生のもとに入り浸って――と渋い顔を隠そうともしない晴明ですが、そこにさらに胡散臭い賀茂保憲(長髪無精髭に煙管)が現れて……
と、冒頭からお馴染みのようでいて、どこか異なる景色が描かれる本作。この後も、奇妙な盗らずの盗人の跳梁や孕み女殺しの続発、そして平貞盛の奇怪な瘡と、原作通りに京を騒がす数々の事件が描かれ、やがて晴明もその一つに関わっていくことに――と、やはり原作と大きく違わずに、物語は展開していくことになります。
が、それでも受ける印象が異なる――そして原作をはじめ、様々なメディアで幾度も『瀧夜叉姫』に、いや『陰陽師』という物語に触れてきた身にも新鮮に感じられる――のは、一つには、主人公たる晴明のキャラクターによるところが大きいことは間違いありません。
人を食ったような部分はあるものの、基本的に行い澄ました顔で、博雅と静かに風流に時を過ごす原作の晴明。しかし本作の晴明は、上で触れたように博雅に対してもぞんざいな態度で(何しろ「そもそもなんであんたここにいるんですか」というある意味禁句が飛び出すのですからむしろ痛快)、容赦ない毒舌をぶつけるほどなのです。
いや、それだけでなく、京の裏側で進行する奇怪な陰謀に対して「面白えじゃねえか…!!」と邪悪な笑顔を浮かべる姿は、我々の良く知る晴明とは全く異なる(むしろ美空とか龍王院弘的な)人物に見えるかもしれません。
しかしそれでも違和感がない、とはいわないまでも、これもあの晴明の一つの顔と感じられてしまうのは、元々原作の晴明にもこのような顔が――普段は静かな表情の下に隠しているものの、世の中の身分や秩序といったものを白眼視し、嘲るような顔が――あることが、何となく察せられるからなのでしょう。
一種デフォルメされてはいるものの、これも晴明であって――いや、もしかしたらあの晴明になる途中なのかもしれない、とも思わされる、毒がありながらも、なかなかに説得力のある晴明なのです。
(ただ、あの魔法使いの帽子のような烏帽子はどうかなあ)
そして本作がユニークなのは、これだけ晴明のキャラをアレンジしながらも、むしろ史実を押さえた描写を随所に見せる点であります。例えばそれは上で述べた、この物語の時点での晴明の身分(この時点では一介の地下人に過ぎない)であり、例えば京言葉で喋る博雅や大和言葉で喋る保憲であり――原作とは異なるけれども考証的にはこちらが正しい描写というのはいささか意地悪な気もしますが、この辺りの一種の拘りは、いかにも作者らしいと感じます。
そしてその一方で、この世ならざるものを真正面から、それもド派手なアクション混じりで描くのもまた作者流と言うべきでしょう。
この巻のラスト、藤原秀郷/俵藤太の過去の勲を語るくだりにおける、異界のものどもの描写の凄まじさたるや――瀬多の大橋でとぐろを巻く大蛇、三上山を突き崩して出現する巨大な百足、そしてその百足に対して大蛇とともに真っ向勝負を挑む藤太の姿は、作者の凄まじいまでの画力に支えられて、先に述べたのとまた異なる形で、原作そのままで、しかし飛躍したものを見せてくれたと感じます。
そ原作を踏まえながらも、時に踏み込み、時に補い、時に突き詰めることによって、原作をある意味超えた――極めて「伝奇的」な姿勢を持つ本作。
あとがきなどで、作者は本作を表するに「歌舞伎」という言葉を使っているのですが、なるほど、歌舞伎が史実を踏まえながらも、そこから――その踏み台があるからこその――遥かに飛躍した物語を描くように、本作も『瀧夜叉姫』という物語に対する歌舞伎的な存在といってよいでしょう。
(そしてここでいう「歌舞伎的」が、「伝奇的」と同じ意味なのは言うまでもありません。
果たして本作がこの先どこまで傾いてみせるのか、そしてそれが何を生み出すのか――考えるだけで思わず本作の晴明のような表情になってしまうのであります。
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