千葉ともこ『震雷の人』(その1) 「武」の兄妹の戦いと「文」の人が遺した言葉
中国は唐代の安史の乱を舞台に、安禄山とその息子・安慶緒によって許婚を失った娘とその兄が、それぞれの立場から動乱の時代に挑む一大歴史ロマン――混沌の時代の中で人の世の在り方を問う、松本清張賞受賞もむべなるかなの逸品であります。
親友で平原郡太守・顔真卿の甥・顔季明と、妹の采春の婚礼を間近に控えていた張永。しかし張永・采春・季明の運命は、安禄山の蜂起により、大きく狂っていくことになります。
顔真卿の命を受け、平原軍の第一大隊の隊長として叛乱軍を迎え撃つ張永と、兄と共に戦う武術自慢の采春、そして常山太守の父を支えて奔走する季明。しかし常山で籠城の末に敗れ、捕らえられた季明は、賊に下るのを潔しとせず凶刃に斃れるのでした。
その悲報を受け、許婚の仇を討つために旅芸人の一座に潜り込み、洛陽で燕王を僭称する安禄山の下へ向かう采春。共に国を変えようと誓った親友の死を悲しみつつも、燕軍を滅ぼすために軍で戦いを続ける張永。
全く異なる道を辿ることとなった兄妹は、やがてあまりにも意外な形で再会することに……
実に九年間に及び、唐の中央集権体制を破綻させる契機となったと言われる安史の乱。「長恨歌」に描かれた楊貴妃の悲劇的な運命も含め、しばしばこの唐代を舞台とした作品の題材となるこの大乱ですが――本作は既存の作品とは大きく異なる形で、それを描き出すことになります。
それは言うまでもなく、本作の主人公像にあります。庶民の出でありつつも、顔真卿に見出され軍人として力を尽くす張永と、旅の僧侠から武術を学び、兄を上回るほどの腕前を持つ采春――身も蓋もないことを言ってしまえば架空の人物である二人は、決して英雄豪傑でも貴族でもなく、言い換えれば歴史に埋もれた、庶民の立場の代表とも言うべきキャラクターなのです。
もちろん顔真卿や安禄山といった歴史上の人物も様々に登場しますが、それこそ先に名を挙げた楊貴妃や玄宗皇帝などの「雲の上の人々」は、ほとんど全く登場しない――本作はそんな物語なのであります。
もちろん、作中における二人の活躍は、主人公に相応しい、勇壮で痛快なものであります。特にいわゆる侠女ともいうべき采春の規格外のキャラクターは、自らの手で許婚の仇を討つという動機づけといい、そこに向かう破天荒で波乱万丈な冒険ぶりといい、まさに中華活劇の主人公に相応しいものなのですが――しかし彼らの、特に采春の物語は、ちょうど半ばを過ぎた辺りで、やがて全く思いも寄らぬ方向に向かっていくことになります。
そして、その彼らの運命、運命の変転に大きく影響を及ぼす存在こそ、物語の途中で非命に倒れる顔季明であります。
顔家という名門に生まれ、尊敬する叔父のように書に打ち込み、そして政に情熱を持っていた季明。その姿は張永や采春とはある意味対極にあるようにも見えますが――その理想に向かう情熱が、三人を堅く結びつけることになります。
もちろん「武」の二人に対して、あくまでも季明は「文」の人。そのため、物語冒頭で、彼は平原を襲った安慶緒に、ただの書生と侮られることになるのですが――しかし彼はそこで一歩も引かず、言葉を返すのです。
「書の一字を侮るなかれ。一字、震雷の如しといいます。刀でも弓でもない。人の書いた一字、発した一言が、人を動かし、世を動かすのです」と。
実にこの言葉こそは、本作のタイトルである「震雷の人」――「世を動かさんとする激しい志を持った人」の由来であり、物語の上で思わぬ大きな意味を持つ言葉、何よりも、本作の描かんとするものを象徴する言葉なのであります。
そしてその言葉が向けられる先は――長くなりますので、次回に続きます。
『震雷の人』(千葉ともこ 文藝春秋) Amazon
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