波津彬子『雨柳堂夢咄』其ノ十八 彼岸に消える蓮、幻になる雨柳堂!?
骨董屋・雨柳堂を舞台とした骨董奇譚、2年数ヶ月ぶりの新巻であります。今日も主人の孫・蓮を狂言回しに、美しくも切ない物語の数々が描かれるのですが、ちょっと今回は印象が異なる作品も……?
入口に大きな柳の木がある骨董屋・雨柳堂――そこに集まる様々な想いを持った品を巡る美しい物語が描かれ始めて、実に今年で30年となりました。その記念すべき年に刊行された本書に収録されたのは、いつもより少し多めの全10編であります。
とある高等学校の庚申会の晩に奇怪な世界に捕らわれてしまった青年の彷徨「明けの刻」
子供の頃に花双六に魅せられ、自分でそれを描こうとする青年の姿を描く「花双六」
雨柳堂に居付いたもののけたちの謎の行動を描く掌編「もののけの秘め事」
雨柳堂を訪れては贋作を売りつけようとする者たちと蓮の奇妙な攻防「まめだ」
怪談マニアの作家の前に、昔の知人を名乗る女優が現れたことから始まる奇譚「二季鳥」
幼い頃の従姉の死の記憶に苦しめられる青年を主人公にした、うるわしの英国シリーズとのクロスオーバー「夢の天使」
山で平和に暮らす釉月が、奇妙な隣人と出会う「山の秋」
狐の助けで財を成したという大店の気難しい大女将の世話をする娘が知った秘密「香木屋の鍵」
時と場所を選ばず現れ、自分を「公子様」と呼びかけるあやかしたちによって蓮の現実が侵食されていく「彼方より来たれり」
雨柳堂を訪れたいと望みながらも、何故か悉く機会を逃してしまう青年の物語「辿りつけない処」
これらのエピソードの多くでは、京助さんやグラント先生、そして久々の登場となった釉月や篁、さらには作家で怪談マニアの花田先生など、懐かしい顔ぶれが登場。
また「夢の天使」と「山の秋」は、作者の画業三十周年記念本『千波万波』が初出のためか、本作には珍しいイベント性が感じられる内容となっています。
しかしやはりどこから読んでも、いつから読んでも不思議に「懐かしい」手触りは、相変わらずと言うべきでしょう。どのエピソードも良いのですが、この巻では、人情話としての完成度もさることながら、終盤の捻りが見事な「香木屋の鍵」が特に印象に残りました。
しかし――本書のあとがきを読むと、愛読者としてはいささか複雑な気分になるのもまた事実。確かにこの数年、本作は不定期連載であり、本書に収録された最後のエピソードも一昨年のものですが――しかし、雨柳堂閉店の意図について作者の口から出ると、やはり衝撃的であります。
それはありがたいことに今のところ避けられているようですが――しかし、それを踏まえて本書のラスト2編を読むと色々と考えさせられるものがあります。
作者曰く「結界を張って」何時までも変わらぬ姿を見せてきた、そして様々なこの世のものならぬ者たちを前にしても、基本的に超然とした態度を見せていた蓮。そんな彼が、自分を異界から迷い込んだ公子と呼ぶ者たちの声に惑い、夢と現も曖昧なままに彼岸に消えそうになる「彼方より来たれり」。
確かに存在することは間違いないのに、そして訪れたいと切望しているのに、しかし向こうから避けられているように、あるいは本当は幻のように、雨柳堂と縁を持てない青年の姿を描く「辿りつけない処」。
冷静になればどちらもいかにも本作らしいエピソードではあるのですが、しかしこれがラストでもおかしくはない――疑ってみればそんな風にも見えてしまうのであります。
もちろんそれはこちらの勝手な思い込みであり、何よりも、あとがきによれば、ラストエピソードはずっと前から構想されているとのこと。
それを理解してもなお、やはり蓮君にはいつまでもこちら側にいて欲しいし、辿り着けぬ場所であっても、雨柳堂はいつまでも、いつでもどこかにあって欲しい――そう思ってしまうのが愛読者の性というものでしょう。
だからこそ、もしかするとまたしばらく待つことになったとしても、再び雨柳堂を訪れることができると信じて待ちたい――そう心から思っているところなのです。
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