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2021.02.24

末吉暁子『水のしろたえ』 もう一つの「天の羽衣」と少女の選んだ世界

 「羽衣伝説」を下敷きに、平安時代初期を舞台として描く時代ファンタジーであります。水底の国からやって来たという母が遺した「水のしろたえ」を求める少女・真玉。様々な出会いの末に、彼女の選ぶ道とは……

 元・駿河国守であり、武人としてエミシ討伐にも参加した菅原伊加富の娘として生まれた真玉。彼女は幼い頃から水の中に潜む不思議な生き物・ギョイと言葉を交わす力を持っていました
 そしてある日、ギョイは真玉を産んで亡くなった母・玉藻のことを語ります。彼女は実は「水底の国」の住人――かつて地上に遊びに来た際に、「水のしろたえ」を伊加富に奪われ、故郷に帰れなくなったというのであります。

 その事を真玉が問おうとした矢先に、坂上田村麻呂の副官として二度目のエミシ討伐に向かうこととなった伊加富。京に帰り次第、母の真実を語ると約束した父の帰還を都で待っていた真玉ですが――やがて、父が命を落とした上、敵前逃亡の疑いをかけられているという信じられない知らせが届くのでした。

 心無い人々の言葉をぶつけられた上、盗賊に火を付けられて屋敷を失い、乳母の小松とともに石山寺に身を隠した真玉。そこで父に恩を受けたという少年・片耳の世話になって暮らす真玉は、平城帝の想い人である薬子、そして帝の皇子・高丘親王と偶然知り合うことになります。
 そんな中、都に凱旋の途上に石山寺を訪れた田村麻呂。その一行の中にいたエミシの指導者・アテルイとモレを密かに訪ねた真玉は、アテルイから、陸奥に帰ったら伊加富のことを探すという言葉を得るのでした。

 しかしその直後、講和に来たはずのアテルイたちが処刑されたことを知った真玉。田村麻呂を問いただすため、彼が参詣するという竹生島に片耳とともに忍び込んだ真玉は、そこで偶然、海中に落ちた高丘親王を救うことになります。
 それが縁で薬子に召し出された真玉は、高丘親王が物の怪に祟られていることを知るのですが……


 地上の男と天上の女が結ばれるという、極めてファンタスティックな物語であると同時に、ひどく残酷な物語でもある「天の羽衣」伝説。それは一種の美しい異類婚姻譚である一方で、二人の関係が羽衣の略奪に始まり、そしてその奪還で終わるという点で、拭い難い暗い陰を感じさせます。
 そのバリエーションである本作もまた、随所に重さ、暗さを感じさせる物語であります。そもそも、物語の本筋である真玉の物語からして、父がエミシとの戦いで汚名を着せられた末に行方不明となるという重い設定なのですが、さらに彼女の生まれが生まれであるだけに、宿命的な陰を背負うのです。

 そしてまた、物語の中で彼女が出会い、関わり合う人々の多くが、いわゆる敗者の側に属する者であることもまた、物語に重みを加えることになります。エミシの指導者として戦い、処刑されたアテルイ。後に上皇を唆し乱を起こした悪女と呼ばれる薬子。その乱によって廃皇子とされた高丘親王。
 いずれも、いってみれば朝廷との戦いに敗れ、歴史の陰に沈まざるを得なかった人々であります。

 そんな本作は地上と水底の国、すなわちこの世界とここではないどこかとの間で揺れる少女を描いた物語であり――そしてこの世界(を支配するロジック)の一つの象徴として描かれる朝廷との軋轢に苦しむ人々(伊加富や田村麻呂もその一人と言ってよいでしょう)と関わり合う中で、自分が何者であるかを知り、そして自分の居るべき場所を知る、アイデンティティ構築の物語であると言ってもよいのではないでしょうか。
(その意味で、水底の国の姿が明確に描かれないことには理由があると感じられます)


 そして真玉が選ぶのがどちらの世界であるのか――それはここで述べる必要はないでしょう。
 しかし、彼女の母の想いの一端を示すことにより、彼女の選択に説得力を与え、そして同時に「天の羽衣」伝説に一つの救いを与える結末は、甘いといえば甘いのかもしれませんが、やはりホッとさせられるものがあります。

 子供にとって、いや人間にとって、自分が父と母の愛の結晶ではないのではないかという想いは、自分自身の存在にも関わる恐るべき疑いでしょう。
 本作の結末で描かれるのはその想いからの解放であり、そして自分自身がここに居る――居る意味があるという想いを抱えた上での、(逃避などではない)新たな愛の始まりなのですから……


『水のしろたえ』(末吉暁子 理論社) Amazon

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