畠中恵『いちねんかん』(その一) 若だんな、長崎屋の主人になる!?(ただし一年間限定
2021年は『しゃばけ』発表から20年――すなわちシリーズ開始から20周年の記念すべき年であります。その前年に刊行された本作は、これまでと大きく趣向を変えた一冊――というのも、一年もの間、若だんなの両親が江戸を離れ、その間、若だんなと妖たちが、店を預かることになるのですから……
ある日、長崎屋に届いた九州からの便り。それは若だんな・一太郎の祖母の遠縁(実は妖であり長命の祖母・おぎん本人)から、若だんなの両親である藤兵衛とおたえに別府温泉に来てはどうかという誘いでありました。話はトントン拍子に進み、二人は、行き帰りを含め、何と一年間店を留守にすることとなったのであります。
当然その留守を守るのは若だんなですが――しかし若だんなといえば言うまでもなく病弱。そのためにこれまで店のことにはあまり関わってこれなかった彼が、いかに兄やたちや大番頭が居るとしても、一年間店を切り盛りしていくことができるのか……
というわけで、本作を通しての趣向は、若だんなが長崎屋の主人を務める一年間の物語というわけで、これまでにない展開に、描かれる物語も一風変わって感じられます。ここは全五話を一話ずつ紹介するとしましょう。
「いちねんかん」
思わぬ成り行きから、長崎屋の主人(代行)となった若だんな。当然不安はあるものの、しかしそれだけでなく、少しでも店にプラスになりたいと、と意気込んだ若だんなは、新製品の開発を企画するのでした。
それに飛びついたのは、薬種問屋の大番頭だったのですが――しかし彼のやる気が、店のためよりも、自分の暖簾分けの資金作りのためでないかと睨んだ周囲との間に、険悪なムードが漂うことになります。そしてその懸念は思わぬところで現実のものとなり……
若だんなが主人として奮闘するという趣向ゆえか、若だんなと妖が巻き込まれる(引き起こす)騒動を描くという基本は変わらないものの、その騒動の大半が、妖ではなく人が引き起こした、人にまつわるものである本書の収録作品。本書の巻頭に収められた本作も、まさにそうした内容となっています。
これまで若だんなは、(兄やをはじめとする妖の助けがあったとはいえ)基本的には自分の裁量で動き、そしてその結果は自分が受け止めてきました。
しかし今の若だんなは、行動の一つ一つが周囲に影響を与えてしまうのです。上に立つ者として当然な、しかしこれまで本シリーズではほとんど描かれてこなかったことが、本作ではっきりと示されるのであります。
物語的には地味な内容ではあるのですが、しかし重要なものを描いている本作。そして結末の若だんなの判断からは、物語を通じた彼の大きな成長ぶりも伝わってくるのです。
「ほうこうにん」
藤兵衛不在の中で兄やたちの仕事が増え、その一方で若だんなが店に出ることが増えたことから、奉公人として若だんなの世話をすることになった屏風のぞきと金次。
その矢先、京の取引先の番頭を名乗る男・熊助が現れ、紅餅を代金後払いで引き取っていこうとするのですが――金次は相手から金の匂いがしないことから偽者と見破り、被害は未然に防がれるのでした。
と思いきや、再び巧妙な手段で長崎屋から紅餅をだまし取ることに成功した熊助。何とか江戸からの運び出しを防ごうと奔走する妖たちですが……
主人がいれば奉公人がいる、というわけで、一年間限定で若だんなが長崎屋の新たな主人となったのに合わせ、新たな奉公人が――というところで、それが何と屏風のぞきと貧乏神というのが実におかしい本作。
確かにどちらも人間姿の妖ですが、屏風のぞきはともかく、貧乏神を奉公人にして大丈夫なの? と思えば、思わぬ能力を早速発揮してくれるのも楽しいところであります。
しかしある意味それ以上に印象に残るのは、本作の悪役となる熊助のキャラクターでしょう。金儲けをたくらんで長崎屋を騙そうとする悪人はこれまでも(前話にも)登場してきましたが、熊助の行動理念は、彼らとはまた異なるものなのですから。
いわば○○の人とも言うべき、彼の一種尋常ではない精神は、貧乏神ですら出し抜くほどのものであり――本シリーズがこれまで積み重ねてきたシビアな人間描写は、ここでも生きていると感じます。
しかしそんな苦い物語の中でも(いやそれだからこそ)、意外な友情を見せる屏風のぞきと金次の姿が、爽やかな味わいを残す――そんなエピソードであります。
続く三話は次回ご紹介いたします。
『いちねんかん』(畠中恵 新潮社) Amazon
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