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2021.03.04

川原泉『殿様は空のお城に住んでいる』 オーソドックスで個性的な時代活劇

 デフォルメを効かせた絵柄と強烈な情報量で独自の世界を作り出す作者が、江戸時代を舞台として描いたコミカルな活劇ものであります。とある外様藩に嫁いだ姫君が、藩政を牛耳る奴ばらを向こうに回して大活躍――というと当たっているようで当たっていない、何ともユニークな一編であります。

 時は江戸時代中期、老中首座・高坂伊豆守の娘・鈴は、屋敷を抜け出して一人歩きをしているうちに迷子になり、凧揚げを楽しんでいた若侍、実は秋吉田藩25万石鳴沢家の世継ぎ・信之介と出会うことになります。その時は故あって慌ただしく別れた二人ですが、それが縁となってか、十年後に鈴は信之介改め鳴沢景宗に嫁ぐことになったのでした。

 しかし幼い頃は英明に見えた景宗も、今はアヒルの亀千代の散歩が趣味の呑気な人物。しかも裕福に見えた藩も、いつの間にか借財が10万両に膨れ上がっているというではありませんか。不審を抱いた鈴は、参勤交代で国元に帰るという景宗から、十年前に廃嫡され、自害した兄の遺書――「ぽんぽこ山」とのみ記されたそれを見せられるのでした。

 ぽんぽこ山とは秋吉田城下で天下に知られた秋吉田マツタケの産地。食欲と好奇心に駆られた鈴は、なんと男装して参勤交代に加わり、秋吉田藩に同行することになります。
 そこで子供の頃に出会った景宗の腹心・帯刀、そして同じく腹心で三つ子の矢走兄弟と再会した鈴ですが、城代家老が実権を握る藩内では彼らは閑職に追いやられた状態。しかも景宗の周囲でも、鈴の心中を穏やかでなくするような事態が……


 というわけで、幼い頃からお転婆(何と柳生新陰流免許皆伝)の鈴と、ちょっとトボケて頼りない景宗のカップルを中心に展開する本作。印象に残るタイトルは、おつむが軽い人のことを「空のお城に住んでいる」という秋吉田地方に独特の言い回しで、要するに景宗に対する周囲の見方を指したものであります。

 先に言ってしまえば、本作の物語自体は実は非常にオーソドックスな御家騒動もの――とある藩で権勢を振るう者たちに、英明な若き主君とその腹心たちが立ち向かう、という趣向なのですが、しかしコミカルな部分が全面に押し出されていることによって、今読んでみてもなかなか新鮮に感じられる作品であることは間違いありません。

 何しろ主人公が天真爛漫というより破天荒な性格の上に行動力の塊(しかし後半はほとんど食欲だけで動いている感が)の上に、物語の6、7割(いやもっと?)は、作者ならではのデフォルメされた絵柄で展開されるのですから、楽しくならないはずがありません。
 お話的にはシビアな部分ももちろんあるのですが、そうした部分をうまく中和して、重さや悲壮感を感じさせない味付けになっているのは、この作者ならではでしょう。

 それでいて、世のしきたりや常識に縛られない鈴が武家社会とそこに生きる人々に向ける眼差しや、まだ実質的に夫婦らしいことをしていない鈴と景宗の微妙な心の触れ合いといった、時にドキリとさせられるような、時にしみじみとさせられるような――そんな心情描写の巧みさもまた、実にいいのです。

 そしてもう一つ、ページ一杯に詰め込まれた台詞や解説といった作者ならではの情報量も健在。特に江戸時代の殿様の一日について、実に10ページ以上にわたって解説を繰り広げるくだりには圧倒されるのですが――しかしそれがスルッと楽しく頭に入ってくるのもまた、やはりこの作者の巧みさと感心してしまうのです。


 全部で100ページ弱と分量自体はさまで多くはないものの、作者ならではの個性的な楽しさがギュッと詰め込まれた本作。もちろん結末はめでたしめでたしで(何しろ秋吉田家は現代まで残ったわけで……)、実に気持ちのいい時代活劇なのであります。

『殿様は空のお城に住んでいる』(川原泉 白泉社文庫『中国の壺』所収) Amazon

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