畠中恵『いちねんかん』(その二) あっという間に過ぎ去る一年間の果てに
一年間の間、両親が旅行に出てしまった若だんなが長崎屋の主人(代行)として奮闘を繰り広げる異色作『いちねんかん』紹介の後編であります。次々と襲い来るトラブルとピンチの前に、若だんなは無事に一年を終えることができるのでしょうか……?
「おにきたる」
西からやってくるという恐ろしい流行病。妖たちの知らせでそれを知った長崎屋は病に効く妙薬を売り出したものの、江戸を舞台にどちらが力を持っているか競い合っていた疫鬼と疫病神を引き寄せてしまうのでした。
疫病から江戸を、何より若だんなを守るために知恵を絞った妖たちの選んだ手段とは……
これまで風刺やパロディという要素はほとんどなかったように感じられる本シリーズですが、本作はその貴重な例外というべきでしょうか。本作で描かれる、疫鬼と疫病神がもたらす恐るべき疫病――それが何を象徴するか、言うまでもないでしょう。
薬種問屋でもある長崎屋には、祖母の下からもたらされる神界の貴重な薬種があります。それをもとに、何とか江戸から疫病を一掃出来ないか――と若だんなたちが知恵を絞るくだりは、特に現実と重なり合い、何とも不思議な味わいがあります。
もっともその結論は、いささか苦い、というより身もふたもないものではあるのですが――しかし本作で二度に渡って繰り広げられる人外のものたちの戦いは、これまで描かれたものとはまた異なる迫力、怖さを感じさせるのは、題材が題材だからでしょうか。
ちなみに本作は昨年の「小説新潮」4月号に掲載された作品。物語の中では江戸の恐ろしき騒ぎは終結したものの、現実ではその一年後の今も……
「ともをえる」
疫病騒ぎの時に売り出した妙薬がきっかけで、長崎屋と縁を結びたいという大坂の薬種屋・椿紀屋の江戸店の大元締に招かれた若だんな。大元締の別宅に滞在することになった若だんなですが、そこで待っていたのは、椿紀屋本店の娘婿の候補者三人でした。
大元締から、娘婿選びの意見を求められた若だんなの選択は……
前話の騒動が影響はしているものの、一転、極めて人間的な世界の物語である本作。主人として一つの店を預かるということは、当然ながらその店のみで世界がクローズするわけではなく、他者との付き合いというものついて回るということが、本作では描かれることになります。
本作においては、椿紀屋の江戸の大元締から、娘婿選びへのコメントという形で、その人物を見極められることになった若だんな。
もちろん、この手の問題解決は、ある意味若だんなの得意とするところではあります。また、正直なところ、選ばれる娘婿も、容易に予想がつくところではあります。しかし――妖だけではなく人との付き合いもまた、時に素晴らしいものをもたらすことを示す本作の幕切れは、どこか苦い結末が多い本書の中で、何とも爽やかな後味を残すのです。
「帰宅」
両親の帰宅も間近になってきたある日、大店の集まりで不穏な噂を聞くこととなった若だんな。何者かが風呂屋で店の若い奉公人たちに近付き、悪事を働かせようとしているというのです。
その背後に大掛かりな押し込みの存在を感じ取り用心する若だんなに対し、面白がって店や離れに様々な罠を仕掛ける妖たち。そしてそれが思わぬ形で役立つことに……
あっという間に一年間は過ぎ、掉尾を飾る本作は、やはり店を――特に江戸時代の店を預かる上では忘れてはいけない、盗賊対策を描いた物語。盗賊たちの何とも陰湿かつよく出来た仕掛けも恐ろしいのですが、しかし物語のクライマックスで振るわれる物理的な暴力は、これまで本シリーズでは描かれにくかったものだけに、インパクトがあります。
もっともそれ以上にインパクトが残るのは、妖たちが仕掛けた罠が効果を発揮するクライマックスの攻防戦。刻一刻と状況が変わっていく展開は実にサスペンスフルで、本書の掉尾を飾るに相応しいのですが、まさか本シリーズでタワーディフェンス的戦いが描かれるとは!? という驚きもありました。
(にしても、ラストの仁吉の躊躇いのない行動には、驚かされたり溜飲が下がったり)
というわけで、あっという間に過ぎ去った若だんなの一年間。この一冊で終わってしまうには惜しい趣向ですが、いずれこの経験が生きる時は必ず来るでしょう。
変わらないようでいて確実に移ろっていくのが人の世。その道理は、本シリーズにおいても間違いなく存在しているのですから……
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