ジョセフィン ・テイ『時の娘』 歴史研究にしてミステリが告発するもの
一口に歴史ミステリといっても様々なタイプがありますが、本作は、歴史上の事件や人物にまつわる真実を解明するタイプの作品の草分け――シェークスピアの戯曲などにより極悪人として知られるリチャード3世の犯したとされる罪を、入院中の現代の警察官が推理するユニークな作品であります。
犯人追跡中にマンホールに落ち、足を骨折して入院する羽目になったスコットランドヤードのグラント警部。退屈を持て余していた彼は、暇つぶしにと友人の女優・マータが持ち込んだたくさんの歴史上の人物の肖像画の一枚に目を留めます。
職業柄、人間の顔から相手の人物を見抜くことには自信のあったグラント警部ですが、彼の眼から見て良心的で責任感があると思われたその人物こそは、悪名高いリチャード3世だったのであります。
15世紀後半、薔薇戦争の最中にイングランド王となったリチャード3世。せむしで醜い容貌、そして様々な権謀術数で王位を奪い、兄である先王の子二人をロンドン塔に幽閉、殺害した稀代の悪王――そんな評判とはかけ離れた肖像画に興味を持ち、グラント警部は独自にリチャード3世のことを調べ始めることになります。
といっても彼はベッドから動くことのできない身。はじめは看護婦から歴史の教科書を借りたり、マータの持ってきた専門書に当たっていたグラント警部ですが、やがてマータに引き合わされたアメリカ出身の若き歴史学者・キャラダインの協力で、調査を進めていくことになります。
そしてグラント警部が辿り着いたリチャード3世の真実とは、「塔の王子たち」殺人事件の真犯人とは……
冒頭に述べたように、歴史ミステリには幾つかタイプがあり、歴史上の人物が探偵役を務める(その中でも、自身に関わる史実の謎に挑むか、架空の事件に挑むか分かれますが)ものもあれば、歴史上の事件・人物にまつわる謎そのものを解くものもあります。
本作はその後者のタイプ、それもベッドから動けない人物が探偵役となる作品。日本の作品でいえば、高木彬光の『成吉思汗の秘密』のスタイル――というより、あちらに影響を与えたのが本作なのであります。
さて、本作のようなタイプの歴史ミステリでは、なんといってもその扱う謎そのものが、作品の魅力を左右するわけですが――本作においては、イギリス史上屈指の悪人として知られるリチャード3世が本当に悪人であったかという、ある意味歴史上の常識に挑戦する内容であるのが、ユニークな点であります。
もちろん、歴史の素人が歴史上の定説に挑むというスタイルは、いささか身構えてしまうものではあります(作中でもグラント警部が、自嘲気味にその辺りには触れています)。しかし本作の場合、一つにはミステリとしての枠に落とし込むことによって、違和感をうまく中和していると感じられます。
リチャード3世による有名な「殺人」――ロンドン塔に幽閉した二人の甥を殺したという最も有名な悪行――をフックとし、些細な違和感や矛盾点を足がかりに証拠を集め、謎(この場合は定説)を突き崩していくというスタイル。それは本作をして、歴史研究であると同時にミステリとして成立させているのであります。
そしてもう一つ、グラント警部と彼を巡る人々の、何ともいえぬコミカルなムードも、本作のイメージを軽くする要素であることは言うまでもありません。
もちろん、本作はミステリの枠にとどまらず、ある種の告発、異議申し立ての書でもあります。それはもちろん、甥殺しをはじめとするリチャード3世の悪評に対するものではありますが――それだけでなく、先入観によって、あるいは誰かの手によって固定化された歴史の見方全体に対するものであるともいえるでしょう。
作中でグラント警部とキャラダイン青年が用いる「トニイパンディ」という語。20世紀初頭のウェールズはトニイパンディで軍隊が民衆に発砲したという――実はそんなことは起きていなかったにもかかわらず、あったものと固定観念化された――トニイパンディ暴動から取られたそれは、本作によって批判され、吟味されるこうした歴史の見方の象徴なのであります。
本作のタイトルに用いられた「時の娘」は、「真理は時の娘」という格言から来ています。真理を語るのは、移ろいやすく当てにならない人ではなく、厳然たる時の流れである――本作はこの言葉を、ミステリの形で描いてみせたと言うべきでしょうか。
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