松井優征『逃げ上手の若君』第1巻 変化球にして「らしさ」溢れる南北朝絵巻始まる
北条時行が主人公という意表をついた設定で話題を集めた、週刊少年ジャンプ連載漫画の第1巻が刊行されました。鎌倉幕府最後の執権の子にして、長らく足利尊氏らに挑み続けた不屈の人を「逃げ上手」という切り口で描いた、極めてユニークな設定の物語であります。
鎌倉幕府執権にして北条家得宗・高時の継子でありながら、武芸にも学問にも興味を示さず、そこから逃げることにのみ血道を上げてきた少年・時行。
しかし1333年、足利高氏(尊氏)の挙兵によりわずか二十四日間で鎌倉幕府は滅亡、父・高時をはじめとする一族郎党も全て命を落とし、時行はただ一人残されることになります。
あまりの運命の変転に呆然とする時行の前に現れたのは、未来が見えると称する信濃国の神官・諏訪頼重。高時から時行を逃がすよう託されたという頼重は、時行の逃げ足を生存本能の表れであると嘉し、高氏を討つために協力すると語るのでした。
そして頼重によって信濃に誘われた時行は、鎌倉を取り戻すための戦いを始めることになるのですが……
歴史ものの紹介をする時に悩むのは、まだ作中で明かされていない史実をどこまで書いてよいか――という点であります。それも、誰もがその生涯について知っているようなメジャーな人物であればともかく、歴史の教科書においては一行で済まされてしまうような人物についてであれば、なおさらです。
そして本作の主人公・北条時行は、(作中でも言及されているように)まさにそんな人物。この時代に興味がある人間であれば知っているけれども、そうでなければ絶対知らない。しかし、それなりに歴史に影響を与えている(足跡を残している)――そんな絶妙にマイナーな人物をチョイスしたセンスには、やはり唸らされます。
そしてそのチョイスの妙に留まらず、いわゆる「(鎌倉)武士」的キャラクターとして時行を造形するのではなく、むしろその逆――命を惜しみ、逃げて逃げて生き延びることにその能力が特化されているというのが面白い。
そんな時行の設定は、歴史もの・戦記ものの主人公の、ある種アンチテーゼ的に感じられますが――しかし歴史を、特にこの頃の日本の歴史を眺めてみると、「逃げる」ことも立派に武士・戦士の能力の一つという感もあります。
南北朝時代の武士や貴族を見ていると――もちろん潔い人物はいるものの――むしろ捲土重来を期してしぶとく生き延びるという人物が散見されるわけで、そのしぶとさ・しつこさは、ある意味この時代の特徴のように感じられます。(これはそのうち作中で触れる気もしますが、そんな時行の対極に位置付けられる尊氏も、史実で逃げる時は見事に逃げているので……)
変化球のようでいて、そんな「らしさ」を表現しているのは、これは周到な計算の上ではないか――そんな印象すら受けるのです。
ただ、少なくともこの第1巻の時点では五大院宗繁や小笠原貞宗といった敵キャラが、いかにも悪人然(あるいは変態然)といったデザインなのは、どうにも類型的に感じられて、いささかひっかかったところではあります。
特に五大院のような普通に描くだけで悪役になってしまう人物はともかく、実在の人物が登場する物語で、主人公の敵方をあからさまに悪人や変態、品性下劣な人間として描くのは、ある意味定番とはいえ、やはり違和感がある――というのが正直なところです。
(この時代は扱いが難しい人物が多いだけになおさら……)
また、敵方がそのような形であるにせよ個性的である一方で、味方側のキャラクターが、個性の塊のような頼重(諏訪という土地と諏訪家という家門の特異性が随所に描かれるのも面白い)を除けば、今ひとつ魅力に乏しいのもまた残念なところですが――こちらはこれから描かれていくのでしょう。
本作は二ヶ月連続刊行とのこと、それだけ力を入れていることが感じられますが――続く第2巻で何が描かれるのか、注視したいと思います。
それにしても単行本のおまけページのカードゲーム調のキャラクター紹介で、南北朝適性として「蛮性・忠義・混沌・革新・逃隠」というパラメータがあるのは、これはなるほどなあ、と感心した次第。
いや確かに南北朝の人物ってこんな感じです。
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