鈴木ジュリエッタ『トリピタカ・トリニーク』第4巻 一つの旅の終わり、長い長い旅の始まり
李世民と長安の運命を巡り、いよいよクライマックスの鈴木ジュリエッタ版「西遊記」。この最終巻では一つの旅の終わりと、そして新たな、長い長い旅の始まりが描かれることとなります。長安を贄に人間界と冥界を繋げようとする首羅の真意とは、そしてその正体とは……(全編のネタバレを含みます)
師・玄奘の肉体を奪った三蔵を名乗る男、実は李世民とともに、彼本来の肉体を取り戻すために長安にやってきた花果。しかし長安では、人々が夜毎妖魔に殺されては魂を奪われ、そして翌日には再生されるという繰り返しで、膨大な魂を集めるという悪夢のような光景が繰り広げられていたのであります。
あまりにも無惨なその所業を行っていたのは、李世民の肉体を奪った謎の男・首羅。人間の魂を10億個集めることにより、人間界と冥界の門を造らんとする首羅の野望を阻むために立ち上がった花果と三蔵、仲間たちですが――王仕亥は首羅によって子豚に変えられ、河伯は瀕死の重傷を負った兄を救うためにその身を投げ出し、三蔵は首羅に捕らえられ、もはや希望は花果のみという状態に……
という形で始まるこの第4巻、その冒頭で語られるのは、首羅の正体と真意であります。
ついに直接対峙した三蔵=李世民に自分が何者であるかを語る首羅。李世民以外知るはずのない少年時代の、兄との想い出を語るその正体は――なるほど、そうであったか! と納得&感心の内容であります。
前巻で、帝位を巡ってかつて敬愛していた兄に殺されかけた末、兄を、父を退けて皇帝となり、そして皇帝として国を治める過程で人の心を喪っていったことが描かれた李世民。これまで描かれてきた長安を襲った災厄は、ある意味その喪った心の復讐といえるかもしれません。そしてだからこそ、首羅の所業は、李世民を激しく苦しめることになります。
しかし、同時にいまや彼はかつての彼、孤独で人の心を捨てた皇帝ではありません。今の彼には、数々の仲間が、そして何よりも彼の傷ついた心を受け止め、支え補おうという花果が近くにいるのですから。
ここで李世民が取った行動は、哀しいものではありますが、しかし心を取り戻さなければ決して取らなかったものでもあるでしょう。その意味で花果は確かに李世民を救ったのであります。
しかし、実はここまでがこの最終巻のほぼ1/3。それではこの先何が描かれるのか? それは、あの物語の始まりなのであります。
首羅が消え、地獄の繰り返しから解放された長安の人々。しかし傷跡は残り続けます。自ら命を絶った人々は還らず、河伯と王仕亥は人の姿を失い、何よりも李世民が――それでも少しずつ復活していく世界の中で、花果はいつかまた三蔵に再会する日のために、仙術修行を始めることになります。
そこで出会った少年妖魔の牛魔王・獅駝王ら、六人の妖魔とともに七年間修行に励んだ花果は、兄弟子たちを追い抜いて一足先に七十二般変化の術と筋斗雲の術を身に着け……
と、これは西遊記!?
いや、冒頭でも触れているように確かに本作は「西遊記」モチーフの物語。しかしその大きくアレンジしたキャラクターたちの姿から、原典の再構成、一種のパロディと思い込んでいたのですが――いやはや、前日譚であったとは!
そう、本作は三蔵と三人の僕が出会い、天竺に全ての衆生を救うありがたい仏典(トリピタカ)を取りに行く――その旅に出るまでの物語。西遊記のメインキャラたちの新たなオリジンを描く物語なのであります。
(牛魔王たちが三蔵を狙う、本作ならではの理由付けも実に楽しい)
とはいうものの、本作はあくまでもオリジナルの物語。旅に出る四人は、あくまでも本作の冒険を経た四人であって、その人物像は、原典のそれとは大きく異なることとなります。
そしてその相違点のうちで最たるものは、花果が少女、しかも七年のうちに美しく育った少女であり、三蔵に対して特別な想いを抱いていることに尽きます。さて、思い切り仏道の障りになりそうなそれが、この先どのように物語に影響するのか?
それはもう想像するしかないのですが、むしろ本作においては、その扱いが正しいように思えます。
『トリピタカ・トリニーク』の大団円、そして西に向かう物語のはじまりはじまりなのであります。
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