宮本昌孝『影十手活殺帖』 駆け込み寺の影の守護者が挑む謎と男女の情
宮本昌孝といえば、スケールの大きな戦国活劇が連想されますが、もちろんその作品はそれに留まるものではありません。本作は江戸時代中期の鎌倉東慶寺を舞台に、東慶寺に離縁のために駆け込む女人を助けるために奮闘する者たちを描く、人情もの+アクション(時々伝奇)の連作シリーズであります。
横暴な夫と姑から逃れるため、東海道を急ぐ女人・れん。箱根越えのために二人の武士と同道することとなった彼女ですが、そこで夫と姑一味に追いつかれることとなります。
しかしれんに邪欲を抱く武士の一人・三之介は、彼女の夫らを叩き斬り、れんにも狼藉を働こうとするのですが――そこに突如現れた男が、三之介を仇と呼び、斬り殺してしまうのでした。
その後、東慶寺に駆け込んだれんの調べに当たり、箱根での騒動を知った東慶寺の寺役人・野村市助は、その真相を聞き、残った姑が逆恨みしてれんを狙うことを懸念するのですが――はたしてその心配はあたり、れんを襲わんとする一味。
その前に立ちふさがったのは、東慶寺門前の餅菓子屋・餅平の息子・和三郎――千姫の娘・天秀尼以来、代々東慶寺の影の守護者を務める餅平に伝わる平左十手(刀身付きの十手)が、悪を斬る……
江戸時代、女人の駆け込み寺として知られた東慶寺は、非常にユニークな存在ではあるものの(あるいはそれゆえに)、意外と時代小説のメインの題材にはなっていない印象があります。
本作はその一つである短編「尼首二十万石」をシリーズ化した作品。市助と和三郎、そして寺入り奉公中の御庭番の娘・紀乃らが、駆込み女にまつわる謎を解き、悪党たちを討つ連作シリーズであります。
「尼首二十万石」は紀乃が東慶寺に入るきっかけとなった事件に和三郎が挑む物語でしたが、本作はそこに新たに市助がレギュラーとして加わるのが大きな変化となります。
「焼芋侍」の仇名を持つ市助は、東慶寺に駆け込んだ女人たちの幸せを第一に考える温かい人柄であると同時に、垢抜けない風貌とは裏腹の切れ者。そんな市助と和三郎が、女人たちの背負った裏の事情を察知し、時に非合法な手段を用いてでも救い出すというのが、本作の基本設定です。
そんな本作に収録されているのは、上にあらすじを記した「血煙因縁坂」を含め、全五編であります。
富山の反魂丹売りの夫が突然暴力を振るうようになり、女房と子供が東慶寺に駆け込んだ背後に意外な悪の姿が存在する「白浪反魂丹」
人別帳外の無宿人でありつつも、養父母をはじめ周囲から愛される夫婦に持ち上がった離縁話――その裏を調べる和三郎が知った壮絶な真実「冬霞妻敵討」
夫の浮気を止めさせるために百姓の女房が駆け込んできたのをきっかけに、密通相手の恐るべき妖婦の存在と、彼女にまつわる意外極まりない真実が語られる「忠臣徒名草」
入聟の菊之丞が閨事をしないと、妻が離縁を求めてきた一件の背景を探る和三郎が、思わぬ過去の事件との繋がりを知る「入聟菊之丞」
これらはどのエピソードも(「尼首二十万石」同様)、鎌倉とは別の場所、そして別の時に起きたある出来事を描いた上で、その出来事がどのようにその駆け込みと繋がっていくのかが語られるスタイル。そのミステリタッチの構成が物語の興趣を大いにそそります。
特に「忠臣徒名草」は、タイトルと冒頭の一幕の登場人物名に「?」となりながら読み進めてみれば、あまりに意外な事件との繋がりに愕然となる、伝奇性も満点のエピソードで、個人的には集中で最も印象に残った作品でした。
もちろん題材が題材だけに、本作の収録作品は、ミステリ味や伝奇性以上に、男女の情愛の世界が濃厚に描かれ、それがしばしば重く苦い、そして切ない味わいを生み出します。
しかしそれを巧みに和らげてくれるのが、市助と和三郎の陽性のキャラクターであります。特に和三郎の、時に凄みを感じさせつつも、基本的に飄々とした、そして屈託のない人物造形は、いかにも作者らしい爽やかさで、実に好感の持てる主人公なのです。
時代設定や題材等、作者の作品としては異色作に見えつつも、そこに描かれるものはまさしく作者ならではと納得させてくれる快作であります。
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