技来静也『拳闘暗黒伝セスタス』第8巻 悩める若獅子と皇帝の抱えた闇
久々の『拳闘暗黒伝セスタス』紹介、主人公がドサ回りに出た一方で、第8巻は視点を変えてローマに残るルスカを主人公に物語が展開されます。愛する人を喪った心の傷を抱えたまま、衛士としてネロたちに仕えるルスカ。しかしある事件をきっかけに、これまで抱えてきた父への鬱屈が爆発し……
拳奴たちの暴動により婚約者のヴァレリアを喪うとともに、セスタスと決別したルスカ。セスタスがネロの手を逃れてローマを離れた後も、衛帝隊の衛士としてのルスカの日々は変わらず続くことになります。
そんなある日、ネロと妃のオクタヴィアのお忍びの外出の警護を務める衛帝隊。その途中、一行は何者かの襲撃を受け、オクタヴィア警護を任されていたルスカは、乱闘の中で彼女の身を危険に晒してしまうのでした。
そしてネロが主犯の尋問を行うのに付き添った際に、ネロの出自にまつわる思わぬ噂を知ってしまうルスカ。皇室にまつわる様々な闇に触れ、自分の衛士としての任に対して抱えてきたルスカの鬱屈は、ふとしたことから父・デミトリアスに対して爆発し、父子対決が始まることに……
アニメ版ではほぼ完璧にカットされましたが、原作(拳闘暗黒伝の方)ではセスタスと並び、もう一人の主役といってよい存在だったルスカ。ヴァレリアの父・ヴァレンスの拳奴養成所が崩壊したことをきっかけにそれぞれの道を往くことになった二人ですが――セスタスが本作の格闘ものとしての側面を主に受け持つ一方で、ルスカは歴史ものとしての側面を受け持つといえます。
ルスカの所属するのは衛帝隊――皇帝直属の格闘士団。その真の任務はこの先明らかになりますが、ネロとその母、妃の近くに仕えるだけに、必然的に皇室にまつわるドロドロを間近で見つめることになるわけで――この巻の冒頭では笑っても完全に目が死んでいる状態であるほどの精神的ダメージを引きずっているルスカにとって、良い環境であるはずがありません。
しかもこの巻でついに明らかになる彼の胸の傷の理由――幼い頃に母から力づくで引き離されてネロの影武者とされ、その際に暗殺者に襲われて深手を負った――がネロに深く関わっており、さらにその衝撃で母は心を病んで童女の頃に戻ってしまったのですから、ルスカにとってはある種の責苦を負わされ続けている状態といってもいいでしょう。(それにしてもここで描かれるルスカと妹、母の関係性の痛ましさには胸が塞がる思いです)
それがこの巻のクライマックスの一つである父子対決で爆発するわけですが――ここで拳で会話してノーサイド、とまではまだまだいかず、結局は父との圧倒的な実力差を見せつけられる始末。
むしろ格闘ものとしては、デミトリアスと仲裁に入った副隊長ドライゼンの激突が大きく盛り上がるところで、完全に観客と化した隊員たちの「うおおぉッ 超ォマジ強えぇッ!」「カッコ良過ぎだぜ兄貴ィ!」という声援に共感してしまうのですが……
さて、本作においてセスタスとルスカと並んでもう一人の重要人物である(そしてこちらもアニメ版でほぼスルーされた)少年がネロであります。
物語が進むに連れ、少しずつ皇帝として振る舞い始めるネロですが、まだまだ母・アグリッピーナには頭が上がらない状況。しかしこの巻において彼は、自身の血に対する恐るべき疑いに直面することになります。
それは暴君として悪名高い狂帝カリグラ――アグリッピーナの実兄すなわち自分の叔父である人物が、自分の実の父ではないか、という疑い。これが実際にどの程度語られている説なのか、そしてフィクションの中で採り上げられているのかは寡聞にして不明ですが、本作のアグリッピーナのキャラクターを考えれば、あり得る話といえます。
そしてそれを身を持って知るネロであればなおさら……
しかしそれ以上に哀れなのが、年端のいかぬ身で政略結婚させられ、さらに余裕のなくなった夫・ネロに打ち捨てられるオクタヴィアなのですが――そんな彼女が、自分を命がけで守ったルスカに惹かれるようになってしまったのは、これは運命の悪戯というにはあまりにも危険で、残酷なものでしょう。
この巻のラストで、自分の未熟を思い知り、そして親という枷を持たずある意味自由な身であるセスタスに自分を自分が羨んでいたということに気付いたルスカ。
ようやく自然な笑顔を見せ、オクタヴィアを守る理由が「任務」から「使命」となったと語ることができるようになったルスカですが――やっと深い泥沼から一歩抜けて、新たな沼にはまった彼の向かう先は、ある意味セスタス以上に前途多難なのです。
『拳闘暗黒伝セスタス』第8巻(技来静也 白泉社ジェッツコミックス) Amazon
関連記事
技来静也『拳闘暗黒伝セスタス』第1巻 熱血格闘漫画と歴史物語の高度な融合!
技来静也『拳闘暗黒伝セスタス』第2巻・第3巻 セスタスの怒り ルスカの屈託 ネロの孤独
技来静也『拳闘暗黒伝セスタス』第4巻・第5巻 三人の少年のすれ違いと別れ そして新たな旅立ち
技来静也『拳闘暗黒伝セスタス』第6巻・第7巻 セスタス、ドサ回りの巡業へ……
『セスタス The Roman Fighter』 第1話「拳奴セスタス」
『セスタス The Roman Fighter』 第2話「異種格闘」
『セスタス The Roman Fighter』 第3話「拳闘の犬たち」
『セスタス The Roman Fighter』 第4話「明日への生還」/第5話「希望の在り処」
『セスタス The Roman Fighter』 第6話「女神との決別」
『セスタス The Roman Fighter』 第7話「檻のなかの叫び」
『セスタス The Roman Fighter』 第8話「開眼」
『セスタス The Roman Fighter』 第9話「幸運な男」
『セスタス The Roman Fighter』 第10話「静かなる布石」
『セスタス The Roman Fighter』 第11話「新たなる戦場」
![]() |
Tweet |
|
| 固定リンク