三好昌子『むじな屋語蔵 世迷い蝶次』 秘密の記憶 預けるか、背負うか?
デビュー以来、京を舞台に伝奇色・ファンタジー色の濃いユニークな作品を発表してきた作者が描く、人の秘密を預かる不思議な質屋「むじな屋」を巡る物語であります。ふとした出来事からむじな屋に関わることになった青年・蝶次が知った店の真実とは……
大店の妾腹の子として生まれ、父親に引き取られながらも道を誤って勘当――その後庭師「駒屋」に弟子入りするもうまくいかず、今は奉行所同心の手先を務める青年・蝶次。そんなある日、久々に駒屋の親方に呼び出された彼は、思わぬ頼みごとをされることになります。
かつて駒屋が手入れをしていたものの、様々な行き違いから縁が切れてしまったさる大店の寮。そこに暮らしていた先代の主の妻が亡くなったために寮を売りに出そうとしたところ、母と住んでいた主の妹・千寿が、家から離れたくないと言っているというのです。
事情を探るために寮を訪れた蝶次が千寿から聞いたのは、実は母の秘密と引き換えに、この寮の庭が質屋「夢尽無(むじな)屋」の抵当になっているという奇妙な事実でした。
訪れた家には死人が出る「閻魔の使い女」と評判の主人・お理久が、化野で営む夢尽無屋。あまりに理不尽に思われる取り引きの内容に、義憤に駆られて夢尽無屋を訪れた蝶次が見たものは……
そんなあらすじだけを見ると、いかにも(ちょっとだけ変わった)人情もののようにも思われる本作。しかし物語はここからさらに奇妙な姿を見せていくこととなります。
化野念仏寺からさらに奧の山中にある夢尽無屋で蝶次が出会ったのは、常人の目には映らない奇妙な老婆と美しい公家の若君。そして若君が守るという倉の中に並ぶ壺の一つに触れ、割ってしまった蝶次ですが――そこには夢尽無屋が集めた人の記憶が入れられていたというのです。
実は預かり賃と引き換えに、他人の秘密の記憶を預かり、壺にしまっているという夢尽無屋。そして預かり賃が反故にされるか、壺が割られると、その秘密は預け主の最も身近な人物に届けられるというのです。
割ってしまった壺と引き換えに、お理久に使われることとなった蝶次は、そこで様々な怪異と秘密を目にすることに……
そんなわけで、本作は「奇妙な商人もの」とでも言いましょうか、奇妙な対価やルールで、通常ではありえないような効果を持つモノを売る――そんな商人を題材とした物語
そこで扱われるモノは秘密――さらにいえば記憶であり、その忘却であります。そしてその秘密とはなんなのか、何故それを忘れようとしたのか(さらに何故その質草なのか)、それを、蝶次は追っていくことになります。
この辺りの謎解きの面白さはまさに作者にとって自家薬籠中のもの。デビュー作以来、物語を構成する大きな要素として、必ずといってよいほど「秘密」や「謎」が存在するのが作者の作品ですが――一見理不尽に見えた事柄の数々が、本作ならではのロジックで結びつき、一つの「理」として立ち上がる様は、快感ですらあります。
しかし本作のさらにユニークで、そして魅力的な点は、夢尽無屋に頼る人々、頼らざるを得ない人々の存在を描くのと同時に、あえて背を向け、自らの記憶を背負って生きる人々を描くことであります。
確かに、夢尽無屋に辛い記憶を預けることで救われる人々はいる。しかしそれだけが答えなのか。それだけが正しいのか――? たとえ辛く愚かにすら見える途であったとしても、それを選ぶ人々の存在は、本作のような設定の物語だからこそ、ある種の輝きを持って感じられるのです。
――そしてそんな人々の生き方は、やがて蝶次自身の物語にも繋がっていくことになります。
夢尽無屋で働くうちに、この店と自分に様々な繋がりがあったことに気づく蝶次。そしてその繋がりの陰の意外な真実を知ることによって、これまで自分自身の居場所を、生き方を見つけることができなかった――この世に迷いながら生きてきた彼にも、一つの変化が生まれることになります。
それが純粋に彼自身の幸せ――安心・安逸と言い換えてもよいかも知れませんが――に繋がるのか、それはわかりません。しかし、あえて自分の記憶を背負い、言い換えれば自分が自分であることを受け止めて生きることは、それだけで価値あることであると――本作は教えてくれるのです。
作者ならではの趣向で描いた人間模様、人間賛歌というべき物語であります。
『むじな屋語蔵 世迷い蝶次』(三好昌子 祥伝社文庫) Amazon
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