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2021.11.13

春秋梅菊『詩剣女侠』 少女は剣を筆に未来を刻む

 岩紙に剣で詩を刻む芸「剣筆」の世界を舞台に、仕えていた家を乗っ取られ尊敬する主を喪った侍女の戦いと成長を描く、痛快武侠活劇であります。か弱い少女は剣筆の奥義を修め、見事仇を討つことができるか? 見たこともない世界の物語が始まります。

 時は明代、剣筆の名門である裴家は、悪漢・段玉鴻によって乗っ取りにあった末に当主は亡くなり、娘の天芯も耐えかねて侍女の春燕とともに、家を出るのでした。
 かつて父の友人であったという剣筆家・七天光筆に会うため、杭州に向かう主従。しかし病弱な天芯は裴家再興を託して逝き、春燕はただ一人残されることになります。

 何とか杭州に辿り着いてみれば、七天光筆は既に亡く、それどころか町の人々に嘲りを受けている様子。そこで途方に暮れた春燕を助けたのは、陸興破と名乗る好漢でした。
 実は七天光筆の弟子だった陸興破ですが、もう一人の弟子であり、犬猿の仲である韓九秋と、七天光筆の名を巡って毎日のようにいがみ合っている状況。そんなところに現れた春燕は、なりゆきから天芯の名を名乗り、彼らとともに修行を始めることになります。

 動の陸興破と静の韓九秋、同門ながら全く対象的な二人の指導を受ける中で、メキメキと剣筆の腕を挙げていく春燕ですが――しかし自分の卑しい素性を隠し、主の名を名乗っていることに、彼女は罪悪感を感じ、そのためにある勝負で大敗を喫してしまうのでした。
 さらに彼女の素性を知る者の登場により、陸興破と韓九秋に真実を知られてしまう春燕。剣筆の最高峰を決する金陵大会が迫る中、はたして彼女は再起することができるのか、そして仇討ちの行方は……


 よくしなる剣でもって、地面や樹、岩に字を彫る――そんな場面は、特定の作品名は挙げられなくとも、武侠ファンであれば、小説や映画などで幾度も見た記憶があるのではないでしょうか。本作はそれに「剣筆」と名付け、一つの競技として成立した世界を描く物語であります。
 そう、何も知らずに読んでいれば絶対に気付かないのではないかと思いますが、「剣筆」は架空の存在。しかしそれに全く違和感を感じないどころか、むしろ今まで何故これが描かれなかったのだろうとすら思わされる、見事なアイディアというほかありません。

 そもそも剣筆とは単に剣で字を彫るだけでなく、古今の名詩を吟じながら、そして舞いながらその詩を彫ることで、その腕前を競う競技。速さや正確さ、美しさだけでなく、その詩情に合った字体であるか、剣舞を通して詩人の心を再現できているかまで、求められる競技なのであります。
 ――本当にフィクションなの? と何度も疑ってしまうほどのこの剣筆の存在だけでも、本作を読む価値はあると言えます。

 しかし本作の魅力はそれに留まりません。それはあくまでも物語世界を形作る要素の一つ――本作は、春燕という少女の成長と自立を描く物語なのですから。


 孤児として悲惨な幼少期を過ごし、奴隷として裴家に買われた春燕。幸い、彼女は心優しい当主父娘に出会ったことで救われ、自分の中の剣筆の才に目覚めることになるのですが――その主人たちが非業の最期を遂げ、自分一人が生き残った彼女は、時に卑屈なほどの自己肯定感の低さを抱えることになります。
 ただでさえ、彼女の歩む道のりは決して平坦なものではありません。それどころか、彼女の前に立ちふさがるのは、外道という他ない性根の腐った卑劣かつ邪悪な者たちばかり。そんな連中の悪辣な手段に幾度も泣かされ、自己肯定感の低さに苦しみ――そんな春燕の姿には幾度もやきもきさせられるのです。

 しかしそんな彼女を温かく見守り、導くのは、全くタイプの違う、しかしどちらも魅力的な陸興破と韓九秋の二人。二人に出会ったことで――そして剣筆を通じて自分自身を、周囲の人々の想いを知ることで、彼女が自分の足で立ち上がる姿は大いに感動的であります。(特に天芯の真の想いを知るくだりの盛り上がりたるや!)

 さらにこの二人の好漢、そしてその師の背負った過去にまつわる屈託と、その昇華の物語もまた見事。二人が同門でありながら全く対象的な技を使うその理由の、武侠もの的に見事な整合性にもまたニッコリなのです。


 試合・仇討ち・秘伝書争奪と、実に武侠ものらしい要素を散りばめつつも、剣筆というその性質上、血腥い要素は最小限――しかしそれでいて、血湧き肉躍る物語を見事に描いてみせた本作。
 オリジナリティといい、人物描写の巧みさといい、武侠ファンであれば、いや面白い物語を愛する方であれば必読の快作です。


『詩剣女侠』(春秋梅菊 集英社オレンジ文庫) Amazon

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