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2021.12.08

波津彬子『幻妖能楽集』 能楽から漫画への美しい再構築

 「Mei(冥)」「幽」「怪と幽」と三つの雑誌に約7年にかけて連載されてきた『幻妖能楽集』が単行本化されました。能楽の名作の中でも、特にこの世ならざるものを題材とした十一番を、名手・波津彬子が漫画化した作品集であります。

 光源氏の妻・葵上のもとに夜毎破れ車で現れ、彼女を打擲する物の怪。巫女の問いに自分は六条の御息所だと語った怨霊は、己の身を嘆き、葵上への恨み言を語るのでした。いよいよ葵上の命が危ないと加持祈祷を始めた横川の小聖の前に鬼女と化して現れ、襲いかかる六条の御息所ですが……

 という「葵上」にはじまり、「定家」「小鍛冶」「羽衣」「清経」「通小町」「紅葉狩」「猩々」「隅田川」「道成寺」「海人」と全部で11編が収録された本書(その他、特別番として「夢野久作「あやかしの鼓」によせて」と題したイラストを掲載)。

 いずれも一度は名前を聞いたことがあるような有名な演目がほとんどですが、しかしその詳細な内容については案外知らないもの。私も実際に観たことがあるものはごくわずかでした。
 それを丹念に描き出した本書には、知っているようで知らない世界に触れたような、新鮮な驚きがあります。


 正直なところ、本書を手に取った時、不安がないわけではありませんでした。一つの演目がそれなりの長さである能を、わずか十ページ前後で描くことができるのだろうか、ダイジェストで終わってしまうのではないだろうか、と。

 もちろんこれは杞憂――というよりもあまりに勝手かつ失礼な心配ではあったことはいうまでもありません。
 しかし、舞台装置などを基本的に極限まで削ぎ落とし、そして主役は面をかぶっている(すなわち演者の表情そのものを見せない)という、引き算の極地のような能を、ある意味足し戻して漫画にするというのは、やはり相当に困難なことではないかと感じます。

 その難事を成し遂げているのは、本書が演目の細部まで理解した上で、それを漫画としての絵と物語に落とし込んでいる――その辺りを解説した監修の金沢能楽美術館学芸員・山内麻衣子氏のコラムは必読です――ことは言うまでもありません。
 そしてそれ以上に、この世に在らざる美しいものを画として描くという、ある意味矛盾した難事を、軽やかに成し遂げてみせる作者の筆あってこそと、つくづく感じさせられます。

 例えば、幾重にも妄執の葛に取り巻かれた「定家」の式子内親王、天上の世界を描く舞いを見せる「羽衣」の天女、酒を通じて人と交誼を交わす「猩々」の美少年、舞いの末に鐘に飛び込む「道成寺」の白拍子……
 亡魂、天人、妖魔、化生――いずれもこの世ならざるものでありつつも、ここで描かれるのは、その不思議な美しさでこちらの心を掴むような存在たちであります。

 その中でも個人的に特に印象に残ったのは、「通小町」の小野小町と深草の少将でした。共に亡魂として様々な姿で現れ、この世に残した未練と悔恨を語る――この二人は、ある意味、実に能楽らしいキャラクターであります。
 しかし、結末で描かれるのは、その複雑に絡みあった因縁から解放され、美しい姿に変じて――特に少将の最後のひとりごちるような語りが実にいい――二人が消えていく様。それまでの姿が哀れさや恐ろしさを感じさせるものだけに、その結末における姿には、胸に迫るものがあります。


 能楽という世界の魅力を凝縮し、漫画という形で巧みに再構築してみせた本書。能楽にある程度親しんでいる方でも、ここから初めて触れるような方でも楽しめる一冊であります。


『幻妖能楽集』(波津彬子 KADOKAWA) Amazon

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