とみ新蔵『彦斎と象山 剣術抄』第2巻 残された者が貫いた己
剣術歴史漫画『剣術抄』の第5弾、河上彦斎と佐久間象山を主人公に描く物語の後編であります。時代が開国・維新に動く中、対称的な動きを見せる彦斎と象山。その二人の軌跡が交錯した後、残された者が辿る運命とは……
肥後熊本藩の藩士であり、若き日から剣術に学問に優れたものを見せてきた河上彦斎と、信州松代藩でやはり剣術そして学問で頭角を現してきた佐久間象山。それぞれ幕末の混沌と直面しながらも、片や攘夷、片や開国と、二人の才人はその立場を全く変えつつ、それぞれの道を歩んできました。
そんな中、池田屋事件で師とも兄とも仰いだ宮部鼎蔵を亡くした彦斎。長州の攘夷派と行動を共にしてきた彦斎ですが、その後の相次ぐ動乱の中で彼は独自の動きを取ることになります。
そして敵情視察のため、開国派の論客として世間で知られていた象山の塾に権兵衛と名乗って訪れ、象山とサイエンスについて対等に議論を交わす彦斎。
自分と同等の才能と理解力を持つ彦斎の存在に歓喜し、同志になれと勧める象山ですが――しかし彦斎は物質的繁栄を求める象山に危うさを覚え、二人の対話は物別れに終わることになります。
そしてなおも京で影響力を行使する象山を、もはや放置してはおけないと、彦斎は同志とともに象山暗殺に動くのですが……
一説によれば、ほとんど言いがかりのような理由で、相手が誰かも知らずに象山を斬ったと言われる彦斎。しかし本作においては――象山はその本名を知らぬままだったとはいえ――二人は運命の瞬間の前に出会い、意見を戦わせた上で、彦斎が明確に意識して象山を暗殺したことが描かれることになります。
それはどこか似たような道を辿りつつも、全く異なる方向を目指す二人にとって必然だったのかもしれません。しかし暗殺直後の(あまりに衝撃的な)彦斎の顔とその言葉を見れば、彦斎にとっての象山の存在の大きさというものがうかがえます。
おそらく象山は、彼が初めて出会った、そしてそれ以降も出会うことのなかった、自分と極めて似た資質を持った「人間」だったのですから……
しかし、二人のうち残った人間、すなわち斬った人間である彦斎も、その後過酷で、そして皮肉な運命を経験することになります。幾多の戦を経て幕府は倒れ、訪れた新たな時代――しかしそれは彦斎の理想とする世ではなく、それどころか、攘夷を掲げて幕府を倒しながら、いざ自分が権力を取った後には外国文化を取り入れねばと嘯く者たちが闊歩する世だったのであります。
そんな中で己の節を曲げず、そのためにかつての同志たちから疎んじられ、熊本に、そして鶴崎に押し込められる形となった彦斎。そこで「有終館」を設立、弟子を育てる彦斎ですが、しかしその後も彼を危険視する者たちが彦斎を追い詰めようとします。
そして捕らえられ――その途中で脳内に現れた象山と対話するくだりは、何とも不思議な味わいがあります――従容と刑に服する彦斎ですが……
実はこの巻の表紙は、この場面の彦斎を描いたもの。従容とは程遠いように見えるこの姿が何を意味するか――それはぜひ実際にご覧いただきたいのですが、それは、最後まで日本の武士として己を貫いた、彦斎らしい姿であったといって間違いはないでしょう。
かくて描かれた彦斎と象山の生涯。二人の歩んだ道とその違いを、単純に「開国」と「攘夷」、あるいは「物質文明」と「精神文明」の対比とのみ考えるのは危険かもしれませんが――しかし二人の存在は、幕末という時代に生きた人々の精神を、それぞれ象徴していたとも感じられます。
しかし二人はある意味あまりにも純粋であり、そのため二人の生き方と主張、そして行動のどちらかを全面的に受け容れるのは危険とも感じます。しかしその過ぎるほどの潔さは、やはりこちらの胸を打つものがあるのです。
そして作者流の幕末史――いや武士の時代の終焉としての明治史は終わりません。本作に続く形で現在連載されているのは、「剣術抄」を外した上で「彦斎と象山」は副題として残した『士乱』という作品であります。
熊本の神風連の乱の首謀者である太田黒伴雄を主人公としたこの物語で何が描かれるのか、そしてそこに二人の姿はどのように投影されているのか――この先も心して見届けたいと思います。
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