とみ新蔵『彦斎と象山 剣術抄』第1巻 人斬りと大学者が見た幕末
文字通りの剣豪漫画家が様々な時代の剣術者たちの剣とその生き様を描いてきた『剣術抄』、その第5作は『彦斎と象山』――幕末の人斬りと学者、そして何よりも斬った者と斬られた者を軸に、幕末の動乱が描かれることとなります。
物語の冒頭で描かれるのは万延元年(1860年)の京、宴席で密告者の十手持ちの話題が出たのを聞いてふと席を立ち、戻ってきた時には件の男の首を持ってきている――そんな剣呑極まりない彦斎の逸話から始まる本作。そこから物語は、彦斎と象山、二人の生い立ちまで遡って描かれることになります。
肥後熊本藩の生まれであり、幼い頃から剣術と学問で抜きん出たものを示した彦斎。彼は幼い頃から宮部鼎蔵と兄弟同様に育ち(いきなり剣術教室が始まるのが本作らしく微笑ましい)、やがて江戸詰めとなります。
一方、彦斎よりも23年早く信州松代藩に生まれた佐久間象山は、剣術使いである父に剣を仕込まれた(いきなり以下同)だけでなく、学問や殖産興業においても抜きん出た才能を見せ、やがて老中兼海防掛となった藩主の顧問として江戸に出るのでした。
そしてここからは、彼らの視点を交えつつも、ペリーの黒船来航から幕末の動乱に至る流れが描かれることになります。
黒船来航で、幕府に激震が走る一方で、海外との交易が一気に盛んとなったことが国内の経済にまで影響を及ぼし、国内では攘夷・倒幕の動きとそれに対する弾圧が激化、ついには桜田門外で大老井伊直弼が暗殺されることに……
と、この巻の大半を通じて描かれるのは、幕末史のいわば概論的な部分。もちろんその中の随所で、彦斎と象山の姿も描かれるのですが、これまでの『剣術抄』のスタイルを期待していると、少々肩透かしに感じられる部分はあります。
(またその中でも、丁度松代での逼塞の時期に重なるためか、象山の出番はかなり少ない印象があります)
もっとも、歴史上の出来事として、年表の一行で片付けられてしまうような内容を、彦斎や象山という一個の人間の目を通じて描くことに意義があることは間違いありません。
例えばこの巻で、彦斎が偶然ヒュースケンと出会い、言葉を交わすくだりなど――ここで描かれるヒュースケン像はほとんどフィクションではないかと思うのですが――は、一つの意外史であると同時に、単純な人斬りでは片付けられない彦斎の人物を浮き彫りにするものとして、効果的であったと感じます。
(が、ここでヒュースケンの死に涙を流す彦斎が後に攘夷浪士になるのもちょっと違和感が……)
ちなみにこの巻の表紙は、毅然とした表情を浮かべる彦斎と、拳銃を片手に吼える象山という、なかなかインパクトのあるものですが、これはある意味、史実に残る二人の人物像を示したものとも感じられます。
というより本作の象山は、独自に模倣した拳銃をファニングでぶっ放すなど、史実以上にアグレッシブな奇人なのですが……
さて、この巻は池田屋事件直前で終わることになりますが、それが本作の彦斎にどのような影響を与えることになるのか――そしてこの巻では交わることのなかった二人の主人公の人生が、どのような途をを辿って交わることになるのか、大いに気になるところであります。
来月発売の第2巻を楽しみにしたいと思います。
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