武川佑『かすてぼうろ 越前台所衆 於くらの覚書』 移り変わっていく時代の人々を救う料理
これまで戦国ものを中心に、独自の視点の歴史小説を発表してきた作者の最新作の題材は、なんと料理。関ヶ原前後の時期を舞台に、サブタイトルのとおり、越前国で台所衆(料理人等、台所で働く使用人)として奮闘する少女の姿を通じて、この時代の姿を浮き彫りにするユニークな物語です。
越前の田舎で育ち、府中城の台所で下女働きを始めた十三歳の於くら。日頃から意地悪な他の台所衆に折檻されてばかりの於くらの運命は、ある晩台所につまみ食いにやってきた初老の武士の相手をしたことによって、大きく変わることになります。
実はこの武士こそは府中に移封されたばかりの城主・堀尾吉晴その人。そしてこれがきっかけで、於くらは吉晴から「かすてぼうろ」作りを命じられることになったのです。
折しも関ヶ原直前の時期、徳川方についた吉晴が、同じ越前の北ノ庄城城主・青木一矩説得の饗応の膳に出そうとしているかすてぼうろ。於くらは、吉晴から与えられた南蛮料理書を頼りに、小姓の前場三郎と共に懸命にかすてぼうろ作りに打ち込むことに……
この第一話「かすてぼうろ」から始まり、全六話で構成される本作。ここでの経験をきっかけに、台所衆――それも腹だけでなく心をも満たす台所衆を目指すことになった於くらは、その後も料理の腕と創意工夫、そして何よりも食べる相手を思いやる心で活躍することになります。
ついに始まった関が原の前哨戦で、大谷吉継との戦に従軍することとなった於くらが、目の前での知り人の死を乗り越えて戦場で食事を作る「里芋田楽」
吉晴の移封に伴い、新たに結城秀康が入る北ノ庄城の台所衆に推薦された於くらが、気難しい家老・本多富正の心を動かそうと奮闘する「越前蕎麦」
包丁役就任の条件として包丁式披露を命じられた於くらが、式次第を学ぶために向かった丹生郡で、隠居した包丁役の娘と漁師の恋路を助ける「一番鰤」
婚礼を間近に控えた於くらが、秀康の養父・晴朝から秀康の苦い思い出を聞かされ、秀康に甘い握り飯を作ろうとする「甘う握り飯」
徳川と豊臣の架け橋になろうと決意した秀康と家康との対立に巻き込まれた三郎を救うため、於くらが家康相手の本膳料理と太閤さまの鯛料理に挑む「本膳料理」
いずれのエピソードも、サブタイトルに掲げられた料理だけでなく、様々な料理が登場(その際に考証を踏まえた解説が入るのも楽しい)。そしてもちろん料理を作るだけでなく、於くらは周囲の善意に助けられてつつ様々な試練をくぐり抜け、料理で人々を救い、そして愛する人と出会うことになるのです。
現在の歴史時代小説のトレンドとして、料理もの、特に本作のように女性が主人公の作品は、かなりの数が存在しています。そしてその中では、上に挙げたような展開は、一つの定番といってよいでしょう。
しかし料理もののほとんどは、江戸時代の市井を舞台としている作品であって、本作のような舞台設定はかなり珍しいといえます。(戦国時代が舞台の料理ものもありますが、こちらは男性が主人公となる傾向が強い)
そして感心させられるのは、本作が関ヶ原の戦の直前から戦の五年後までという、戦乱から太平の時代に移り変わっていく時代を舞台としている点であります。
本作は、於くらの活躍を描く一方で、かつて柴田勝家の台所衆であった老人、伏見から隠居してきた庖丁役、かつて朝倉の落ち武者に飯を運んだことがある於くらの母といった、戦国を生きてきた人々の姿をも、さらりと、しかし極めて印象的に描きます。
そしてそんな戦国ならではの食の記憶を背負う人々がいる一方で、於くらが北ノ庄で世話になる北ノ庄の煮売茶屋の女将・哉ゑのように、新しい時代に食で挑んでいこうという人間もいるのです。
そう、人々が生き延びるだけで必死であった時代から、生きることが当たり前となりそれを楽しむ時代へ――そんな時代の流れの中でも、かつての時代を引きずった者もいれば、これからの時代に戸惑う者もいる。本作で於くらが料理を通じて救うのは、そんなこの時代ならではの人々なのです。
そしてそれは、これまでの作者の作品で描かれてきたもの――戦国時代に在ったのは、「武者」「武将」といった属性ではなく、一個の生きた人間であるという、本当は当たり前ながら見過ごされがちな事実を、食を通じて捉えたものであると感じます。
定番のようでいて、材料も調理法も変えることで、全く新しい味――それも新奇なだけでなく、どこかホッとさせられるもの――を生み出してみせる。本作はそんな作品であります。
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