細川忠孝『ツワモノガタリ』第1巻 格闘技漫画の手法で描く幕末最強決定戦開始!
歴史上のある人物とある人物が戦った時、どちらが強いのか? あるいは、あの流派とこの流派とどちらが強いのか? というのは何時の世も大いに興味をそそられるものですが、本作はその幕末剣術版――新選組の強者たちが、これまで戦った中で最強の相手との戦いを語る剣術漫画の始まりであります。
元治元年(1864年)のある晩――新選組屯所にて賑やかに飲み明かす近藤・原田・斎藤・山南・土方の面々。この面々に酒が入れば当然というべきか、真剣を抜いた斬り合いが始まりかねない剣呑な空気の中、近藤が座興に提案したのは、「この国において最強の剣客は誰か?」という議論でありました。
かくて、これまで新選組が斬ってきた中で最も強かった相手について語ることになった場で、口火を切ったのは遅れてきた沖田。そして彼が挙げた名は、芹沢鴨……
この物語の舞台となっているのは先に触れたとおり1864年、そのいつ頃かまではこの巻ではわかりませんが、池田屋事件や禁門の変が起きた、ある意味新選組の絶頂期ともいえる時期であります。
そして芹沢が粛清されたのはその前年というわけで、まだ記憶に新しい――それも封印すべき記憶を持ち出されて、ここで一同がちょっとたじろぐのは可笑しいのですが、しかし沖田の対決した相手として、これ以上相応しい者がいないのは間違いないでしょう。
というわけでこの第一巻では、一の段として「天然理心流 沖田総司 対 神道無念流 芹沢鴨」が全編に渡って描かれることとなります。ここでまず注目すべきは、この対決を描くに当たり、そこに至るまでの経緯はさらりと流し、ひたすらどちらが勝つか、剣戟バトルが繰り広げられるというその構成でしょう。
そしてそのバトルの内容も、単純に沖田と芹沢という二人の強さ比べに留まらず、段のタイトルに冠されているように、それぞれの流派の特徴を踏まえて描かれる点が、本作の最大の特色であり魅力と感じます。
そう、本作は、時代もの・歴史ものというよりも、格闘技ものの手法で描かれていると言ってもよいでしょう。
考えてみれば、幕末という時期は、戦国から江戸時代初期と並ぶほど(フィクションにおいて)剣術が注目された時期であるにもかかわらず、流派ごとの剣術の内容に着目した作品は少なかったように感じます。
それはおそらく、剣術の技術の上の勝敗よりも生き死にというさらに決定的な勝敗の基準があることと、そしてそれ以上に、戦いの理由が単純な強さ比べでなく、それぞれの主義主張にあるためではないかと感じます。
それを本作は、可能な限り純度の高い剣術勝負として描いている点が、大いに面白く感じられたところです。(いかにも格闘技漫画らしいナレーションの多用には評価が分かれるかもしれませんが……)
もちろん、剣術を用いるのが個々の人間である以上、そこにはその人間の個性や人生というものが表れるのは当然のことではあります。しかし本作はそれも流派の特徴と結びつけて描くのが実に面白い。そしてそれでいて漫画らしいケレン味もきっちり用意されているのが嬉しいところであります。
特にこの巻の最大のクライマックスというべき沖田の三段突きの描写――このあまりに有名な技を描くのに、その内容・使用シチュエーションについて、ドラマチックな要素を残しつつも理詰めに描くことによって、「格闘技漫画の必殺技」感を生み出しているのがたまらないのです。
そしてまた本作は、最近流行りの歴史(含む神話)上の最強バトルもののように、異世界やパラレルワールドが舞台ではなく、あくまでも幕末の史実を踏まえた物語である点にも、注目すべきでしょう。
史実という現実の中で描くことによって、リアリティだけでなく、よりキャラ描写やドラマに魅力を与えることができる――そう信じている身としては、これは何よりも嬉しい点であります(そしてそれを担保しているのが山村竜也氏という万全の体制)。
もっともこの点は、ややもすれば読者にニッチな印象を与えかねず、匙加減が難しいのかもしれませんが――この辺りは、二の段以降のマッチメイクにも期待というところでしょうか。
――と、ついつい気が早いことを書いてしまいましたが、実はこの第一巻の時点では、一の段はまだ決着に至っていません。
沖田独自の必殺剣を以てしてもいまだ倒れぬ怪物・芹沢に、天然理心流の奥義は通じるのか? 猛烈に気になる場面で終わっているだけに、この続きを少しでも早く読みたいものです。
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