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2022.06.04

ジョン・ディクスン・カー『火刑法廷』 驚愕の大転回 毒殺魔伝説と忍び寄る不死者の影

 怪奇色の強い不可能犯罪もの、あるいは歴史ミステリの印象が強いジョン・ディクスン・カーが、実在の毒殺魔を題材に描いたホラーミステリ、伝奇ミステリの名品であります。1920年代、フィラデルフィア郊外で起きた奇怪な密室からの消失事件。その背後には不死者の影が――?(作品の趣向に触れる部分があります。ご注意下さい)

 ある週末の晩、フィラデルフィア郊外の別荘に向かっていた編集者スティーヴンズ。殺人実録を得意とする作家ゴーダン・クロスの新作の原稿を列車の中で読もうとした彼は、その中にあった十九世紀に処刑された毒殺犯の写真が、自分の妻マリーと同姓同名、瓜二つであったことに衝撃を受けます。

 一方その晩、スティーヴンズを尋ねてきた隣人マーク・デスパードは、一週間以上前の仮面舞踏会の晩に亡くなった叔父・マイルズが毒殺された疑惑があると告げます。
 舞踏会の晩に叔父が口にした飲み物の中に大量の砒素が含まれていたと語り、叔父の遺体を改めて調べるため、厳重に密閉された納骨堂を開けたいというマーク。スティーヴンズはそれに協力するのですが……

 しかし葬儀の時には確かにマイルズの遺体が収められていたにもかかわらず、霊廟の棺の中は空。そしてマークはさらに、叔父が亡くなった晩、十七世紀の毒殺魔・ブランヴィリエ侯爵夫人のドレスを着た女性が、彼に飲み物を渡したのを使用人が目撃したと語るのですが――しかしその女性は、あるはずのないドアを開けて外に出ていったというのです。

 さらに事態は警察の介入を招き、当日のアリバイなどより細かい捜査が進められるのですが――その中でスティーヴンズはマリーへの恐ろしい疑惑を募らせていくころになります。そしてそれを裏付けるように、マリーはゴーダン・クロスの原稿を抜き取って、何処かに姿を消してしまい……


 特にその初期の作品では、濃厚な怪奇趣味とケレン味溢れる不可能殺人ものが印象に残るカー。本作も(一応)その系譜に属する作品と言ってよいかもしれません。
 本作の中心となる謎は犯人と死体、いずれも密室からの消失ですが――特に犯人消失は、毒殺魔のドレスを来た女性がそこにあるはずのない、後で探してもどこにもないドアを抜けて消えるというシチュエーションは、語り口の妙もあり、ゾクゾクさせられます。

 しかしそれ以上にゾクゾクさせられるのは、作中で語られる不死者伝説の存在です。ここで登場する不死者は、吸血鬼やゾンビのようないわゆる生ける死者ではなく、むしろ一種の転生者――はるか昔に亡くなったはずの人間の精神が、別の(自分の子孫や良く似た)人間の中で蘇り、生前と同様に振る舞うという存在であります。

 そしてその不死者として囁かれるのが、十七世紀の実在の毒殺魔・ブランヴィリエ侯爵夫人(マリー・ドブレー)。愛人ゴーダン・サンクロワから毒薬の使用法を学び、父親をはじめ親族などを次々毒殺、サンクロワの死後に事が露見した末に、毒殺者を裁く「火刑法廷」にかけられ、処刑された人物です。
 本作では、その後、彼女の魂があたかも後世の人間の中で幾度か復活、同様の毒殺事件を起こしたという説を語り、十七世紀、十九世紀、そして現代のマリー・ドブレーとの関係を仄めかすのであります。

 さらに現代のマリーが砒素に関心を示していたこと、事件当日の晩にスティーヴンズが不自然な睡魔に襲われて彼女のアリバイがないこと――さらにマリーが漏斗に異常に恐怖心を示すこと、事件の起きたデスパード家の先祖がブランヴィリエ侯爵夫人捕らえていたことなど、様々な形で不気味な暗合が示されることになります。(侯爵夫人と漏斗の関係についてはドイルの『革の漏斗』でも語られています)
 この辺りの、過去の歴史の話と思っていたものが、突然自分事として目の前に現れる辺りの呼吸は、実に見事と感じます。

 そして読者の側の疑念も最高潮となったところで、意外な探偵役が登場、快刀乱麻を断つ名推理によって――思わぬ波乱があったものの――見事に合理的な謎解きが示されることになります。この辺り、特に件の幻のドアの謎解きなど、実に楽しいのですが……


 しかし本作の名を不朽のものとしたのは、最終章の数ページでしょう。そこで示されるものが何であるか――それはここでは触れませんが、作者の作品であること自体が一種のトリックともいうべき、凄まじい大転回には、ただ絶句させられるばかりなのです。

 同様の趣向は、後年様々な作品で見られるように思いますが、その嚆矢という印象もある本作。わずか数ページで作品の印象が(もしかしたらジャンルも)変わってしまう――そんな恐るべき名品であります。


『火刑法廷』(ジョン・ディクスン・カー ハヤカワ・ミステリ文庫) Amazon

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