泉田もと『化けて貸します! レンタルショップ八文字屋』 タヌキの商売と少年の第一歩
江戸時代にはポピュラーな存在であったという損料屋(今でいうレンタルショップ)。本作は、何故か町外れにあるにもかかわらず繁盛する損料屋・八文字屋を舞台とした児童文学であります。この店で奉公することとなった少年・文吾が知った店の秘密とは……
江戸の中心から少し外れたところにあるにもかかわらず、そこらの店には置いていないような珍しい品物が借りられると評判の損料屋・八文字屋。若い主人の誠太郎、番頭の長兵衛に手代の金太と銀次、奥で働くおかねばあさんとおさきの六人で切り盛りするこの店の繁盛の秘密は――実は働いているのがタヌキだということにありました。
人間とタヌキの間に生まれた誠太郎を除いて、全員化け上手のタヌキであるこの店では、何と奉公人たちがお客の注文の品に化けて、貸し出されていたのです。
ところがそんな八文字屋に、人間の子供が奉公に来ることなります。当然反発する八文字屋の面々ですが、世話になった人物の紹介だけに断るわけにもいかず、やむなく自分たちの正体を隠してこの話を受けることになったのです。
そんなことになっているとも知らず、八文字屋で奉公し始めた少年・文吾ですが……
住宅事情や火事の多さなどから、現代の我々が想像する以上に利用者が多かったという損料屋。にもかかわらず、いささか馴染みが薄い職業のためか、損料屋が時代ものに登場する頻度はあまり多くないように感じます(いまパッと思いつく時代小説は三つくらいでしょうか)。
しかし本作は、その損料屋だからこそ成り立つ、極めてユニークなお話であります。何しろタヌキが品物に化けて貸し出されるというのですから、基本的にどんなものでも揃えられます。途中で分福茶釜みたいなことにならないか、ちょっと心配になりますが、そこはプロの技(?)でフォローするのでしょう。これはうまい商売を考えたなあ――と思わず感心してしまいます。
しかし、本作で描かれるのは、そんなタヌキたちの奮闘だけではありません。むしろ本作の中心となるのは、そうとは知らずそんな店に奉公することになってしまった、ただの人間である文吾の存在です。
家の貧しさから、親兄妹と引き離され、わずか十一歳で奉公することになった文吾。やがて彼も店の真の姿を知ることになるのですが――しかし彼にとっては奉公を続けることが何よりも大事。店の人々がタヌキなのは二の次というのは、おかしいようで、意外とリアリティがあるように思わされます。
しかし本作の何よりも巧みな点は、唯一の人間である、すなわち他の者のように化けることができない(正確には誠太郎も化けられないのですが)という文吾の境遇を、新しい世界に第一歩を記した少年の、普遍的な想いと重ねて描くことだと感じます。
他の奉公人が当たり前のように出来ていることが出来ない――いやそれは出来なくても当然ではあるのですが――それが初めて奉公することになった少年に、どんな想いを抱かせることになるのか。それは、そんな環境に置かれることのない我々にとっても想像に難くはないと思います。
誰でも、新しい環境で不安を抱いたことはあるでしょう。周囲が当たり前に出来ていることが出来ずに悔しい想いをしたり、無力感に落ち込んだことがあるでしょう。文吾が味わうのは、まさにそんな想いなのです。
しかし、仕事をしていて、大げさに言えば生きていて味わう想いは、もちろん悔しさや悩みだけではありません。自分の努力で、そして周囲の人々の助けで、きっとそんな悩みを乗り越え、大きな喜びを味わうことができるのだと――本作は同時に描き出すのです。
さて、物語は後半、八文字屋に横柄な態度で出入りしては問題を起こす大店のドラ息子との対決へと繋がっていくことになります。
そんな中で短慮な銀次が起こした行動の影響が、思わぬ形で文吾に降りかかることになるのですが――そこで文吾が、文吾だからこそできる手段で(店の人々の助けを得つつも)窮地を乗り越える姿は、本作のクライマックスに相応しく何とも痛快で、そして我がことのように嬉しさを感じてしまうのです。
本作が刊行されたのは今から五年前と少々前なのですが、ぜひその後の八文字屋と文吾の姿も見てみたい――そう思わされる楽しい作品であります。
『化けて貸します! レンタルショップ八文字屋』(泉田もと 岩崎書店) Amazon
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