今村翔吾『イクサガミ 天』 開幕、明治11年のデスゲーム!
今年1月に直木賞を受賞し、今乗りに乗っている今村翔吾。その直木賞受賞直後に刊行されたのが、本作であります。明治時代、謎の主催者が、武芸の達人たちを集めて開催する死のゲーム〈こどく〉。それぞれの事情を背負い、〈こどく〉に参加した達人たちの行く手に待つものとは……
明治11年、日本各地で広められた「豊国新聞」なる新聞に記された奇怪な文言――「武技ニ優レタル者」に「金十万円ヲ得ル機会」を与えるという、真偽も定かではない内容ながら、292人の男女が指定の日の深夜に、京都は天龍寺に集まるのでした。
そこに現れた主催者が参加者に一枚ずつ木札を配った後に告げたのは、〈こどく〉という名の「遊び」の開始と、七つの奇妙な掟――
一、これから銘々に東京を目指す。
二、必ず天龍寺の総門、東海道の伊勢国関、三河国池鯉鮒、遠江国浜松、駿河国島田、相模国箱根、武蔵国品川の七カ所を通ること。
三、それぞれ二、三、五、十、十五、二十、三十点なければ通過できない。
四、何人にも、このことを漏らしてはならない。
五、一月後の六月五日に東京にいなければならない。
六、途中での離脱を禁ずる。木札を首から外せば離脱とみなす。
七、以上を破りし時、相応の処罰を行う。
そして一番大事なルール――点を稼ぐには参加者それぞれが持つ一枚一点の木札を奪い合うこと。つまり〈こどく〉は、京都から東京までに参加者の間で繰り広げられるデスゲームだったのであります!
幕末の京では土佐側の剣客として活躍し、今は平和に暮らす嵯峨愁二郎も、病に倒れた妻子を救うため、藁をも掴む気持ちでこの〈こどく〉に参加したのですが――その内容がデスゲームと知らされて愕然とする中、やはり家族のために参加した年端もいかぬ少女・双葉を庇い、彼は他の参加者たちと対峙することになります。
双葉を守るというハンデ、縁もゆかりもない相手を殺すことへの罪悪感、そして恐るべき技を持つライバルたちの存在――誰が参加者かすらもわからぬ、一時も油断できない東京への旅に挑む愁二郎の戦いの行方は……
トーナメントバトルというのはある意味時代伝奇ものの王道ですが、その王道をゲームとしてさらにシェイプアップした感があるのが本作であります。デスゲームものはエンターテイメントの世界では珍しくありませんが、そのほとんど例外だった時代小説において展開してみせたのは、コロンブスの卵という感があります。
そしてユニークなのは、この〈こどく〉――その意味は、勘のいい方であればすぐに気付くと思いますが――の内容が、単にライバルを倒して点を稼ぎ、先に突き進むだけでなく、駆け引きの余地を残していることでしょう。
実はこのゲームでは、参加者同士は敵対するだけでなく、手を組むことも自由。そして、一人で点数を稼いでも、それで目立った末に、集団で襲われ、木札を奪われては元も子もありません。
一方、チェックポイントを通過するギリギリの点数だけを稼いで、できるだけ目立たずに先に進む、という戦法もあり得ます。もちろん、あまりのんびりしていると他の参加者が皆チェックポイントを通過してしまい、通過に必要な点数を稼げなくなる可能性もあるのですが……
この辺りのある意味直接的なゲーム性を見ると、本作は「今」の作品なのだな、と感心させられます。
さて、本作は全三巻予定とのことですが、この「天」で描かれるのは、池鯉鮒宿の手前まで。まだまだ東京までは遠く、そして東京に着くまでがいわば前半戦――すなわちまだ後半戦があるというこのゲームの先に何があるのか、全く先は見えません。
(黒幕的な人物も登場し、真の目的らしきものは提示されているのですが、それが本当に真実なのかどうか?)
参加者の方も、愁二郎の過去と因縁を持つ者たちあり、幕末の遺物のような狂気の人斬りあり、その他にも忍者にアイヌに老達人にと多士済々であります。
その愁二郎の因縁のウェイトが作中でちょっと重めな印象があったり、双葉の存在が(こう言ってはなんですが)主人公のお荷物以外の何ものでもなかったりと気になる点はありますが、しかしそれもこの先どう転ぶか全くわかりません。
全く先の予想できない物語はまだ始まったばかりなのですから……
『イクサガミ 天』(今村翔吾 講談社文庫) Amazon
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