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2022.08.21

莫理斯『辮髪のシャーロック・ホームズ』(その一) 巧みな換骨奪胎のパスティーシュにして歴史もの

 世界で最も有名な私立探偵であろうシャーロック・ホームズを、原典と同時代の香港に暮らす中国人に巧みに置き換え、見事に換骨奪胎してみせた短編集であります。神探(名探偵)福邇(フー・アル)と華笙(ホア・ション)の冒険が始まります。

 満洲八旗の生まれで、西洋や日本に留学しながらも官途には就かず、イギリス領であった香港島で諮問探偵として活動した福邇摩斯。本書はその親友である医師・華笙が記録した物語を、その代理人兼編集者である杜軻南(ドゥー・コナン)が収集し、出版した――という趣向の一冊です。
 福邇も華笙も、ホームズとワトスンの中国訳名にひねりを加えたものですが、本作はホームズ譚を翻案・アレンジしただけでなく、当時の香港・清の史実を背景とし、実在の人物を数多く織り交ぜた、パスティーシュとしても一種の歴史ものとしても非常に魅力的な作品です。以下、全六編を紹介していきましょう(一部、本作と原典の核心に触れる箇所があります)。

「血文字の謎」
 武挙に合格して武官となったものの、新疆での戦いで左肩と右足を負傷して退役、帰郷の途中に発展著しいという香港に興味を抱き、知人を頼って漢方医となった華笙。そこで知人に紹介され、華笙は荷李活道(ハリウッド・ロード)二百二十一号乙に暮らす福邇と共に暮らすこととなります。
 その数日後の真夜中、香港警察のグージャー・シン警部とクインシー警部の要請で、殺人事件の現場に向かった二人。現場には血文字で「仇」の文字が残され、正面から胸を刺された死体の遺留品には、意味不明の文字が並んだ手紙が……

 記念すべき第一話は、当然ながらというべきか、タイトルからも察せられるように原典の「緋色の研究」をベースとした物語。なるほど、アフガニスタンが新疆に、グレグスンがグージャー・シンに(レストレードに当たるキャラがそれっぽくないように見えるのは、実在の人物のためでしょうか)などと翻案の面白さに感心させられます。(ご丁寧に華笙が二箇所に怪我をするのには苦笑い)
 しかし、本作はそれだけでは終わりません。有名な原典の緋文字を、なるほどこう取り込むかと感心させつつ、さらに原典を踏まえた一ひねりを加えてくるのに感心させられますが、何よりも驚かされるのは、クライマックスの犯人との対決であります。

 実は本作、アクション度というか武侠度が結構高めで、福邇は八卦掌と太極拳の使い手(さらに日本のおそらく柔術を会得)、普段は鉄扇を武器とする達人。華笙の方も、傷の後遺症はあるものの、龍椿拳と虎尊拳を得意とし、福邇にプレゼントされた仕込み洋杖を使って戦う――と、どちらもかなりの武闘派なのです。
 はたして、大の男を易易と正面から殺した犯人の正体とは、その技との対決の行方は――好きな人間にはたまらない味付けです。


「紅毛嬌街」
 最近二つの奇妙な出来事があったという老人・季連徳の話を聞かされた福邇と華笙。その一つは、自分の三階建ての家の三階を様々な注文をつけて借りた、ロバーツ夫人なる西洋人女性が、普段部屋にいる気配を全く感じさせないことでした。
 そしてもう一つは、それより少し前に自分と同族であるという季連昌と名乗る男が現れ、同族会のために書類を書き写す仕事を高給で依頼してきたのですが――同族会館が妙に粗末な建物で、同族探しも一向に進んでいないようだというのです。

 季連徳が不在の間に家で不審なことはないか確認し、そして会館を調査すると請け負った福邇。しかしその最中に意外な事態が……

 第二話にして油断ならない趣向がふんだんにほどこされた本作は、タイトルそして季連徳の奇妙な経験から、明らかに「赤毛組合」のパスティーシュのように見えるのですが――それだけでなく、原典でも似たような内容の「三人ガリデブ」、さらに「覆面の下宿人」の要素まで取り込んだユニークな一編です。

 特に物語の大きな謎となるのは、追加された(?)下宿人要素。何しろこの下宿人、未亡人ということで普段から黒衣に身を包み、顔をヴェールをかけているのはいいのですが、出会うたびに体型が違うというのです。
 一歩間違えれば怪談話ですが、はたしてその真相は――福邇が鮮やかな推理で(そして華笙が大奮闘して)解き明かしてみせた企ては、こんな計画がアリなのかと呆れますが、しかしそれも西洋と東洋が入り混じった香港という土地ならではのものなのでしょう。

 俗説と真実、二つの「紅毛嬌街」の名前の由来を織り込んでみせる物語展開も巧みです。


 第三話以降は次回に続きます。


『辮髪のシャーロック・ホームズ』(莫理斯 文藝春秋) Amazon

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