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2022.08.12

川原泉『バビロンまで何マイル?』 高校三年生コンビが見届けたボルジア家の運命

 川原泉が独特のタッチで描く、タイムスリップ漫画の名編であります。幼い頃に出会った不思議なおじいさんから与えられた魔法の指輪の力で様々な時代にタイムスリップしてしまう高校生コンビ・仁希と友理。二人が見たボルジア家の姿は……

 幼い頃、家の裏の雑木林で、池にはまっていた小さなおじいさんを助けた仁希と友理。グノーシスと名乗るおじいさんは、近いうちに必ず礼をすると言って消え、それから12年――高三になってその記憶もすっかり薄れた二人の前に再び現れたグノーシスは、二人にそれぞれ指輪を与えるのでした。
 ソロモンの指輪の改訂版だというそれは、いつの時代いかなる国の言葉も自由自在に操れる上、タイムスリップの力も秘めているのですが――それがいつ発動してどの時代に飛び、いつ帰ってこれるかわからない代物。かくて二人は恐竜時代、次いでルネサンス期のイタリアに飛ばされることに……

 というわけで、幼馴染の高校三年生コンビが様々な時と場所にタイムスリップして様々な出来事に巻き込まれるという趣向の本作。このタイムスリップ、上に述べたとおり全くのアトランダムに発動するという厄介極まりないものなのですが――しかしその辺はあまり悩まず、さらりと適応してしまうのが、本作の楽しさの一つでしょう。。

 基本的に二人は(指輪の力で読み書きに全く問題ないほかは)、基本的にごく普通の高校生なのですが――受験生としての知識量と、あとは何よりもそのあっけらかんとしたバイタリティで、それぞれの時と場所に適応してしまうのが、何とも愉快です。
 このあたり、すっとぼけた軽めのトーンとペダンチックな情報量の多さ、自分や周囲の状況へのどこかフラットな視点(あと恋愛っ気の薄さ)など、実に作者らしいテイストというべきでしょう。そして内容的にも、二人が主体的に事を起こすのではなく、あくまでも見届け人として描かれることになります。


 そしてそんな本作のスタイルは、全体のほぼ3/4を占めるイタリア編で特に明確であります。突然のタイムスリップで、15世紀末のイタリアの教会に飛び出してしまった二人――そんな二人の姿をたまたま目撃し、天使だと思いこんでしまったのはルクレツィア・ボルジア――そう、あの歴史に名を残すボルジア家の美女だったのです。

 二度目の嫁ぎ先であるナポリの王子アルフォンソへの兄チェーザレの仕打ちに幻滅し、逃げ出したばかりのルクレツィア。彼女は、二人と行動を共にしようとするものの、あっさり兄に連れ戻され――そして二人もそのままボルジア家の食客に収まることになります。とりあえず衣食住を確保した二人は、無為徒食の状態で、チェーザレとルクレツィアの織りなすドラマを目撃することに……

 ローマ教皇の子でありながら政治家・軍人の道に進み、卓越した手腕によって諸勢力が林立するイタリアに覇を唱えんとしたチェーザレ。彼は、目的のためであれば手段を選ばない、まさにマキャベリストの元祖として後世に悪名を轟かせた人物であります。
 本作においても彼の行動は後世に伝わるものと変わらず、特に利用価値のなくなったアルフォンソに対する行動が、本作のクライマックスとなるのですが――しかし単純な極悪非道の人物として描かれないのが面白いところです。

 妹が連れてきたとはいえ得体の知れない二人を厚遇し、特に全く物怖じしない仁希には再三に渡って頭ポンポンするなど、不思議なところで人間味を見せるチェーザレ。いや、そうした表に見える部分だけではなく、彼が特に妹を前にして見せる姿には、どこか不思議な緊張感と、そして同時に強い孤独感を感じさせるものがあります。

 チェーザレだけでなくルクレツィアも、いやチェーザレの懐刀である冷徹なドン・ミケロットまで――登場人物一人ひとりが背負った無限の想いを、本作は全て言葉にして描くのではなく、しかしその表情と佇まいでもって浮き彫りにします。そう、仁希と友理が見届けるのは、どこか己の運命に殉ずるような、そんな彼らの姿にほかならないのです。

 そして一歩間違えればひどく物悲しく、あるいは索漠としたものになりかねない物語を、どこかホッとさせられる味わいにしているのは、上で述べた作者ならではのテイストによるものであることは間違いないでしょう。


 残念ながら二つのエピソードのみで終了している本作ですが、スタイル的にはまだまだ描けるはず。いつか二人が様々な時代を経た末に、古代バビロニアにたどり着く姿を見てみたい――今でもそう夢見てしまうのです。


『バビロンまで何マイル?』(川原泉 白泉社文庫) Amazon

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