町田とし子『紅灯のハンタマルヤ』第2巻 長崎の独自性と、怪異というマイノリティ
江戸時代後期の長崎を舞台に、長崎奉行所の隠密同心・相模壮次郎と、丸山遊郭の菊花太夫と三人の禿が怪異に挑む時代アクションの第2巻であります。長崎での人と怪異の複雑な関係に悩む壮次郎が遭遇した新たな事件。そこに浮かび上がる長崎の姿とは……
長崎奉行付きの隠密同心として江戸から赴任してきた壮次郎――彼の任務は、この町で人に仇なす怪異を討つこと。そして怪異にとどめを刺す力を持つ銀製の十字剣を武器に戦う彼を助けるのは、丸山遊郭のまるた屋の菊花太夫と、雛あられ・清・こもれびの三人の禿であります。
しかし彼女たちの正体は実は怪異。強大な力を持つ怪異である太夫と、それぞれ吸血鬼・妖狐・影の怪異の血を引く三人の禿と――壮次郎は怪異の力を借りて怪異を討つのです。
そんな基本設定の本作ですが、この第2巻の前半では、何者かに殺されたペーロンの楫とり役を慕う人魚を追う者たちと対決する清、そして壮次郎と束の間の休日を共に過ごす雛あられと、二人を中心としたエピソードが描かれることになります(もう一人、こもれびのエピソードは第1巻に収録)。
しかしこの巻でより印象に残るのは、後半で描かれるエピソードでしょう。夜廻りの最中、小料理屋の主から、怪しげな術を使う下女に襲われたと助けを求められた町司(地元採用の目付役)の中山。主が、下女たちは切支丹だと訴えるのを聞いた彼は、半ば強引に壮次郎と上司の与力が行う詮議に同席するのですが、踏み絵を迫られた下女の一人が突如変貌し……
このようにこのエピソードは切支丹にまつわる内容ですが、なるほど、本作にはまだ切支丹についての言及はほとんどなかったか、と今更ながらに気付かされます。
もちろん、長崎=切支丹というイメージは一種短絡的であるかもしれません。しかし本作でも言及されているように、物語のわずか十数年前には「浦上一番崩れ」という潜伏切支丹の摘発があったわけで、やはり切支丹と長崎との繋がりは大きかったというべきでしょう。
(そしてこの浦上での摘発は幕末まで続くわけで……)
しかしこの浦上一番崩れのユニーク(?)なのは、事件の拡大を恐れた長崎奉行所が(つまりは幕府が)、信徒たちを切支丹扱いせず、「穏便に」処理した点といえます。そして本作は、その長崎奉行所の切支丹への対応を、怪異に対するそれと重ね合わせてみせるのであります。
すなわち、怪異も切支丹同様、表立って騒ぎ立てなければ追求しないという対応と……
それはある意味、理に適った対応といえるかもしれません。しかしそれは彼らが長崎の住人として存在を認められているのではなく、むしろ捨て置かれている――つまりいないものとして扱われているのと同じ。そしてその判断は、結局は力を持つ者の胸先三寸なのであります。
これまで物語の中で、特に禿たちと触れ合う中で、怪異たちもまた長崎の住人として受け止めてきた壮次郎にとって、この事実がどれだけの重みを持つのか、推して測るべしでしょう。
長崎という土地の独自性を踏まえたゴーストハントを描くだけでなく、そこから一種のマイノリティへの視線にまで繋げて描いてみせる本作。
色々とマズいフラグを立てているような気がしてならない壮次郎ですが、彼がこの先どこに向かうのか。そして長崎の怪異側の裁定者というべき太夫は何を思っているのか――個々のエピソードはもちろんのこと、物語全体の流れも気になるところであります。
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