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2022.08.22

莫理斯『辮髪のシャーロック・ホームズ』(その二) 福邇と二人の女性

 19世紀末の香港を舞台に展開する名作パスティーシュにして歴史ものの名品――神探福邇とその相棒・華笙の冒険を描く『辮髪のシャーロック・ホームズ』の紹介、第二回であります。今回は女性描写が印象に残る二話を取り上げます。

「黄色い顔のねじれた男」
 旧知の孤児院兼学校・日字楼のピアシー校長の紹介で、講師のマンローから相談を受けた福邇。マンローが想いを寄せる同じ学校の教師・エフィーが、バークリー大佐なる男に執拗に言い寄られ、彼女は大佐を嫌いながらも何故か相手の言うことに従っているようだというのです。
 七年前の水害の際、匪賊の襲撃で宣教師だった父親を失い、天涯孤独となって香港にやってきたというエフィー。彼女の過去に秘密があると睨んだ福邇に頼まれ、エフィーと友人となる華笙ですが、その前に、黄色い顔で体のねじれた不気味な男が姿を見せます。

 そんな中、自分の邸宅にエフィーを連れ去ったバークリーの死体が、邸内の密室から発見されて……

 タイトルからは直球に原典の「黄色い顔」「唇のねじれた男」をベースとした物語かと思いきや、ねじれているのは別の箇所で、原典のあのエピソードの方か! と驚かされる本作(というか悪役の名前の時点で……)。そこから何となく真相を予想してしまうのですが、比較的シンプルな内容であった原典に対して、密室の謎解きが凝ったものとなっているのが楽しいところです。

 しかし特に印象に残るのはその結末です。原典よりもある意味はるかに重い運命を背負ったヒロインに対する福邇と華笙の紳士的な思いやり――特にアヘン戦争等の影響で西洋人に偏見もあった華笙が、彼女の境遇に想いを馳せるくだりは、本書でも屈指の感動的な場面といえるでしょう。
 そしてしばしば古き良き紳士像を体現してきた我々の大好きなホームズとワトスンは、辮髪でも変わらないと嬉しくなるのです。


「親王府の醜聞」
 安南へのフランスの侵攻が本格化する頃、香港ホテルに滞在する人物から依頼の呼び出しを受けた福邇。出向いた福邇は、仮面の依頼人の正体が先の軍機大臣・恭親王の子であり、時の光緒帝の従兄・多羅郡王であると見抜きます。
 その郡王からの依頼は艾愛蓮なる女性を探し出し、彼女が持ち出したという金の鍵を取り戻せというもの。郡王の態度に釈然としないものを感じつつも、福邇は調査を開始するのでした。

 そして奇妙な状況に巻き込まれつつも、艾愛蓮の家を突き止め、鍵を奪取するべく作戦を練る福邇。しかしその晩、艾愛蓮の家に向かった福邇と華笙は、思わぬ事態に遭遇することに……

 タイトルから明らかなように、原典の「ボヘミアの醜聞」をベースとした本作。福邇にとって生涯忘れられない女性の名は艾愛蓮(アイ・アイリエン)、アイリーン・アドラーのもじりであることは言うまでもありません。
 そして仮面の依頼の正体をひと目で見抜くという冒頭部分も原典を敷衍したものですが、本作ではそこに大きくケレン味と捻りを加え、より印象的な依頼の場面となっています。

 その後も、変装して艾愛蓮に接近した福邇が、彼女の○○に巻き込まれるという何とも奇妙な展開もそのまま、そしてあの有名な手段で、艾愛蓮の隠し持ったものを奪還しようとするのですが――ここから物語は驚愕の展開を迎えることになります。
 先に述べたように、原典に比べてアクション度が非常に高い本シリーズですが、このエピソードで描かれるのは、その中でもトップクラスに派手なアクション。福邇が、華笙がそれぞれ異なる技を遣う強敵を迎え撃つのですが――えっ、この人までが戦うの!? と仰天すること請け合いの展開であります。ぜひこの件は映像で観てみたい――そう感じさせられます。

 しかし本作の最大の魅力は、さらにその先にこそあります。クライマックスで明かされる艾愛蓮と、彼女が奪ったものの正体、そして彼女がそんな行動を取った理由――それが明らかになった時、物語はそれまでと全く異なる様相を呈することになるのです。
 原典と大きく異なるそれは、これまでホームズやワトスン同様に様々な形で描かれてきたアイリーン・アドラーに新たな姿を与えるものであり――そしてそれは、彼女を「今」描く理由でもあると感じられます。

 先に挙げたアクションシーンもさることながら、何よりもこの艾愛蓮のキャラクター造形・設定の見事さから、本編が本書でもベストと感じる次第です。


 残る二話は次回に紹介します。


『辮髪のシャーロック・ホームズ』(莫理斯 文藝春秋) Amazon

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