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2022.09.06

久世番子『ぬばたまは往生しない』第1巻 尼姫の理想と青年僧の現実と

 平安時代、美しい黒髪を持つ中納言の姫君でありながらも尼になろうとする「ぬばたま姫」と、彼女に振り回される美男僧・白顕のコンビ(?)が巻き込まれる/巻き起こす騒動を描く、コミカルな平安漫画であります。

 若くして文殊菩薩の化身と呼ばれ、美男なのも相まって、都の貴族から講話や加持祈祷の依頼が引きも切らない白顕。今日も物の怪に憑かれたという藤中納言の姫君の祈祷に赴くことになった白顕ですが――その彼の前に現れたのは、常識外れの型破りな姫君でした。
 黒々として艶やかな髪の美しさから「ぬばたま姫」と呼ばれ、求婚者が引きも切らない姫君。しかし彼女は御簾の陰に隠れたりなどせず、白顕の前に顔を見せて「自分を尼にしてくださいませ」と言い放つではありませんか。

 密かに心に思う相手がいるにもかかわらず、親に縁談を決められてしまったという姫をなだめるため、その相手を探す白顕。しかし見つけ出した相手はあちこちの女性に通うとんでもない好色漢――いやそれどころか、彼こそが彼女の婚約者だったのです。
 実はそんな相手と結婚させられるような身の上を厭い、尼となって俗世から自由の身となりたいと願っていた姫。そんな彼女の想いを聞かされて「尼になっても救われはしない」と言い放つ白顕ですが、姫は自分で自分の髪をバッサリと切り落とし……


 そんな第一話から始まる本作で描かれるのは、まだ受戒されていない形の上とはいえ尼姿になったぬばたま姫と、彼女に振り回されつつ様々な事件に遭遇することになる白顕の姿であります。

 この時代、貴族の姫君といえば御簾の陰に隠れて素顔は見せず、ただ髪や着物の裾のみを外に出す――というのが常識。しかしぬばたま姫は堂々と顔を見せるだけでなく、そのあだ名の由来となった髪をばっさりと切ってしまうのですから、これは白顕ならずとも唖然呆然とするのは当然でしょう。
 そもそも出家するというのは、これまでの俗世の縁を断ちきり、ある意味それまでとは別人として、無縁の身になるということ。凡人であれば、それはどれほど心細いことか――と思ってしまいますが、姫の場合は、むしろ家を捨て去り、自由な身の上になるための出家であります。そのためであれば
髪など惜しくない、ということなのでしょう。

 冷静に考えればこれはかなり無茶な理屈であり、白顕の言うことの方が世間的に(いや仏門的に?)見れば正しいのかもしれません。しかし今などよりも遙かに女性に自由がなかった時代に、真っ向から異議を唱えるように髪を裁ち切ってみせる姫の姿には、「この手があったか!」という驚きと同時に、「よくぞやってくれました!」と言いたくなるような痛快さすら感じます。


 そんな彼女の行動を事あるごとに否定する白顕ですが、しかし彼もまた、仏道に専心したいと願いつつも、寺の補修の資金集めという、極めて世俗的な理由で加持祈祷に駆けずり回らされている身の上であります。そしてまた、悩める人を救おうとしても、白顕の現実主義ではどうしても超えられない壁があります。

 ある種の現実主義に立ちながらも、その現実に苦しめられる白顕と、現実を乗り越えるために理想主義で突っ走る姫。そんな対象的な二人が一種のバディとなって、悩める人々を救っていくという姿は、いかにもコメディらしいドタバタ騒動ではあるのですが、しかしどこか仏道に適っているのではないか――そんなことすら考えさせられます。

 そしてそんな騒動の中で、二人の心の距離が少しずつ縮まっていく――それは同時に、それぞれの現実と理想が近づいていくということでもあるでしょう――姿に、何とも言えぬ微笑ましさと心地よさを感じるのです。


 とはいえ、白顕が姫に振り回されているという状況までもが変わるわけではありません。しかもこの巻のラストでは、何だか別の意味で姫に振り回される予兆まで見えてきました。なかなか往生しそうにない姫の快進撃と、彼女に往生させられる白顕の悩みは、まだまだ続きそうであります。


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