田中芳樹『纐纈城綺譚』 虚構と史実の間を行く中華伝奇活劇の快作
今から27年前に発表された、日本人作家による中国ものととしては、もはやスタンダードと呼ぶべき中華伝奇活劇の快作であります。唐の時代、人の生き血を絞る纐纈城――その悪魔の城に挑む好漢・豪傑たちの活躍や如何!?
唐の宣宗の時代、長安を訪れて揚州からやってきた二人組・李延枢と辛トウ。市場で暗赤色の布を見つけ、店の者を問い詰めようとする二人ですが、そこに一人の剣士が割って入ったことで、取り逃がしてしまうのでした。
その剣士・李績に対して、二人は自分たちが長安にやってきた理由を語ります。二年前、会昌の廃仏で長安を逃れた日本人留学僧・円仁が迷い込み、辛くも逃げ出した城・纐纈城。そこでは、捕らえた人の生き血を絞って布を染めており、その布がこの長安が売られているのだと……
そして纐纈城から長安に入り込んだ敵の手の者から、様々な形で襲撃を受ける三人。故あって宣宗の腹心・王式と顔見知りである李績は、彼を通じて纐纈城の脅威を訴え、その壊滅に動き出すことになります。
王式が使う孤児・徐珍や西域の言葉に詳しい美女・宗緑雲とともに、長安に食い込んだ纐纈城の関係者を追う李績たち。しかし纐纈城の魔手は宮中にまで及び、宣宗の身にも危機が……
『宇治拾遺物語』の「慈覚大師 纐纈城に入り行く事」に登場する纐纈城――時代伝奇ものにおいては国枝史郎の『神州纐纈城』で知られ、その後も様々な作品に影響を与えた、人の生き血を絞る魔城であります。本作はその原典である円仁(慈覚大師)の物語の後日譚――円仁が逃れた後、纐纈城が滅ぼされるまでを描く一大活劇です。
辛くも虎口を逃れた円仁から纐纈城の存在を知った江湖の武侠・辛トウが、友人の李延枢とともに長安を訪れたことから始まるこの物語は、人の生き血を絞る城という悪夢めいた存在を描きつつも、片足を史実にしっかりと置いて、展開していくことになります。
(ちなみに『宇治拾遺物語』の纐纈城の方も、会昌の廃仏という史実をきっかけに展開する物語であります)
何しろ、主人公側の登場人物はほとんどが実在の人物――その後の歴史に名を残した人物。そして主な舞台となる長安も、彼らの姿を通じて、安史の乱から百年経ち、華やかな中でもゆっくりと滅びに向かいつつある斜陽の時代の姿が、丹念に浮き彫りにされているのです。
それに対して纐纈城の方は、原典を踏まえつつも、その姿を幾層倍も邪悪かつ悍ましくパワーアップ。この城を支配する、果たして幾年生きているのかもわからぬ城主など、人の生き血を絞るどころか、文字通り人の血肉を喰らう怪物として描かれているのであります。
(それでいて、長安の人々の間に纐纈城の手の者が食い込んでいくメカニズムなどは、妙に現実的なのが恐ろしい)
物語のクライマックスは、もちろん本作のヒーローたる李績たちが纐纈城に乗り込み、この全き邪悪というべき纐纈城主と激突するのですが――そこに至るまでに様々な趣向で繰り広げられるアクションの面白さ、実在でありつつも本作ならではのキャラクターとして描かれる登場人物たちの魅力、そしてそこに巧みに絡み合わされた史実によるアクセントと、どこをとっても見事な時代伝奇活劇というほかありません。
しかし、物語は結末において虚構の世界から現実に、すなわち史実に回帰することになります。結末で語られる主人公たちの後の姿――それは確かに本作で活躍した彼らの姿に重なるものではあります。しかし同時にそこから伝わってくるのは、明確な善というものが存在しない、そして善が勝利するとは限らない、現実の歴史の無情/無常なのです。
虚構と史実の間を行きつ戻りつしつつ、エンターテインメントとして、異形の歴史ものとして、豊かな味わいを生み出している本作。初読以来本当に久々に読み返しましたが、やはり名作と言うべき作品であります。
(ちなみに史実といえば、この約十年後に刊行される『天竺熱風録』で描かれた王玄策の故事が作中で語られているのが、ちょっと面白いところではあります)
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