『プレデター:ザ・プレイ』(その二) 狩りと成長、そしてプレデターという存在の魅力
『プレデター』シリーズ最新作、1719年の北米大陸を舞台に、コマンチ族の娘とプレデターが死闘を繰り広げる『プレデター:ザ・プレイ』の紹介の後編であります。本作で人間とプレデターの戦いを通じて描かれるものとは……
コマンチ族の戦士と、プレデターの激突を描く本作。しかし本作は、正面切っての力と力だけのぶつかり合いを描くものではありません。本作の主人公であるナル――戦闘の才能はあるけれども、まだまだ経験と(特に肉体的に)力不足である彼女が、自分よりも遙かに勝るプレデターに対して、己の持てるもの全てを振り絞って戦いを挑む姿こそが、本作の真骨頂であります。
その中では、シリーズでも初の女性主人公という側面が、やはりクローズアップされることになります。
そしてそれは、作中で幾度も描かれるように、ナルが一族の男たちから狩りに加わることを禁じられ、時には見下される姿を通じて、ネガティブに描かれているのが、まず印象に残ることは間違いありません。
しかしその一方で本作が描くものは、単純なジェンダー批判というものではないとも感じます。ナルが女性だからこそ培うこととなったスキルが、プレデターとの戦いにおいて大きな意味を持つくだりなどは特に象徴的ですが、本作は彼女が女性性を捨てる、あるいは乗り越えていくだけの物語ではないと感じます。
本作は彼女がそれまでの人生で手に入れたものや与えられたものと、自分がなりたかったものを、プレデターとの戦いの中で統合して、新しい自分自身になる物語――一つの成長劇なのですから。
狩りが大人への通過儀礼という文化は古今東西に存在しています。(そもそもプレデターからして、わざわざ通過儀礼のためにエイリアンを狩りに地球に来ていたたわけでわけですが、それはさておき)そしてその中で主人公が成長していく姿を描く物語も、数多くあります。
本作がそんな「狩り」の物語であることは言うまでもありません。もっともそれは、本来ならば狩人であるプレデターにとっては獲物(プレイ)でしかないナルが――物語序盤で彼女に対して兄が、「獲物もお前を狩る」と語ったように――逆襲に転じて狩る側に回り、成長していく姿を描く物語であります。
本作はアクション映画、モンスター映画として実に痛快な作品ではありますが、その背骨として、こうした一種のテーマ性があることは間違いないでしょう。
実は本作を見ながら、ずっとプレデターの魅力を――それこそエイリアンに並ぶムービーモンスターとなった理由を――考えていました。思うにそれはやはり、プレデターの持つ一種のフェアプレイ精神と、そこから生まれる隙――といってはおかしければ、対等な戦いのチャンスがもたらす、ゲーム性にあるのでしょう。
もちろん全てのプレデターがそれに当てはまるわけではありません。そもそもあれだけハイテク装備を持ち込んでフェアプレイもないもんだ、という気もいたします(プレデターの隙は、むしろその優位性からくるもの、といった方が適切なのかもしれません)。
その辺りは――本作では、異なるものといして描かれてはいたものの――本作にもう一つの敵役(そしてやられ役)として登場する、欧州からやってきたハンターたちの姿と重なる部分があるといえるかもしれません。
しかし本作は人間側のテクノロジーの未発達な過去――それも大自然(本作で描かれるそれは、実に印象的に美しいのですが)を舞台とすることによって、そしてその中で人間と良い意味で互角の死闘を演じることによって、そんなプレデターの魅力を、改めて鮮明に描いてみせたとも感じられます。
もう一つ過去といえば、絶対絡んでくるであろうと思われたアレが、期待通りにきっちり絡んでくるのが嬉しいところなのですが――しかしこの辺り、ラストまで見ると、アレ? と首を傾げる点でもあります。
そこはエンドクレジットでヒントらしきものがあるわけですが――これがホラー映画のラストによくあるフリで終わらないよう、本作に続く物語にも、期待したくなってしまうのです。
『プレデター:ザ・プレイ』 Disney+
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