楠桂『鬼切丸伝』第16巻 人と鬼、怨念と呪いの三つの物語
様々な時と場所をさすらい、鬼を斬る鬼切丸の少年を描く連作シリーズ、最新巻では藤代御前、飯降山、累ヶ淵と、それぞれ個性的な物語が描かれることとなります。時と場所を変えて繰り返される、人と鬼、男と女、怨念と呪いの物語の姿は……
戦国時代末期に津軽を統一・支配した津軽為信。土地の藤代家の美しい妻・藤代御前に懸想した為信は、彼女を奪うためにその夫を殺し、側室になるよう迫るものの、御前はこれを拒否した上に家中を挙げて徹底抗戦の構えを見せることになります。しかし奮戦虚しく藤代氏は滅亡、御前も怨念の言葉を残して惨死し、以後、津軽氏にも様々な呪いが……
という藤代御前伝説を題材とした前後編の『藤代御前鬼伝承』。このエピソードでは基本的に伝説の内容を踏まえつつ、鬼と呪いの物語が展開していくことになります。
その美しさから人を魅了するだけでなく、やがて鬼を招くと鬼切丸の少年から予言される藤代御前。その言葉は的中し、御前を守って戦う侍たちは鬼と化し、さらに無惨な死(本当にちょっと驚くくらい無惨)を遂げた御前も鬼に――という前編。
そして後編では為信の晩年、藤代御前の墓が掘り起こされ、それ以来為信の城では美しい鬼女が徘徊し、襲われる人間が続出するという事件が描かれます。
このエピソードでまず印象に残るのは為信のあまりの暴虐ぶりで――あまりの乱行に、これは御前が鬼になっても無理はないと思わされるのですが、しかしある意味純粋ですらある為信の想いが、後編では意外な形で彼に祟ることになります。
前後編という構成ではあるのですが、実はそれぞれで描かれる「鬼」の姿は大きく異なる今回のエピソード。はたして鬼となったのは誰で、祟り呪われたのは誰であったか――後編で大きく物語の構図が変わるのが印象的な物語です。
そして続く『飯降山鬼咄』は、福井県の飯降山に伝わる民話――というより一部世代にとっては『漫画日本昔ばなし』のトラウマ回(いがらしみきお担当!)でお馴染み――を題材にするという、意表を突いたエピソードであります。
御仏の奇跡を信じて修行に励む三人の尼僧の前に、毎日一回、三個降ってくる握り飯。しかし握り飯を奪い合い、尼僧が一人また一人と殺されていくにつれ、握り飯もまたその数を減らしていき――という飯降山の物語。
それが本作においては、握り飯の数が減っていくだけでなく、殺された尼僧が食べたように、握り飯とその周囲に血がべったりとついて――と、ビジュアル的にもより凄まじい方向に転がっていくことになります。
その果てに現れる鬼とは――この部分はいささか直球ではありますが、しかし死んだ尼僧が予言する御仏の奇跡の正体は、なかなかに皮肉が効いたものだったかと思います。
そしてラストの『鬼景累ヶ淵』前後編は、言うまでもなくあの累ヶ淵の因縁譚(『真景累ヶ淵』というよりも『死霊解脱物語聞書』)を題材とした物語です。
下総国羽生村の百姓・与右衛門の後妻・すぎの醜い連れ子・助が殺され、その後に生まれた子・累は、助と生き写しの姿。そして累もまた、婿に迎えた男・谷五郎に殺され、谷五郎の後妻たちも次々と怪死、最後に生まれた娘には累の怨霊が取り憑いて、さらに――という、書いていて重い気分になってくるほど怨念が累なる原典ですが、本作では、助も累も鬼のようないびつな容姿と評される娘として描かれます。
それでは累が鬼に? と思ってしまうわけですが、そこは捻りに捻った展開になるのが本作ならではというべきか。愛と表裏一体の怨念が鬼を招き――という物語は、本作を怨霊譚のみに終わらせず、その背後にあるある種の純愛を描く物語として描くのに驚かされます。
しかしその先に待つのもまた、という、ある種の身も蓋もなさを感じさせる結末も強烈で、「とかく女は鬼と成る」という言葉はストレートすぎるようにも感じますが――しかしこのエピソードが、女性だからこそ生まれた鬼を描いた物語であることは間違いないことでしょう。
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