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2022.12.22

スチュアート・タートン『名探偵と海の悪魔』(その一) 動く密室の怪事件に挑む探偵……?

 十七世紀、バタヴィアからオランダへ向かう帆船を舞台に次々と発生する奇怪な事件を描く、海洋冒険小説、そして怪奇小説テイスト濃厚な本格ミステリの快作であります。悪魔から呪われた船を救うことができるのは誰か? 獄中の名探偵に代わってその助手と、聡明な総督夫人が謎に挑むのですが……

 オランダ本国に帰還するバタヴィア総督ヤン・ハーンをはじめ、数多くの人々が乗船する帆船・ザーンダム号をはじめとする七隻から成る艦隊。しかし艦隊が出港直前の港に現れた、血染めの包帯で顔を覆った病者は、この船は呪われている、乗客は破滅を迎えるだろうと予言し――その直後、炎に包まれるのでした。
 この病者を救おうとしたのは、乗船準備のためにその場に居合わせた名探偵サミー・ピップスの助手・アレントと、総督夫人のサラ。しかし既に手遅れの上に、二人は病者は舌を切り取られていたと知ることになります。

 喋れるはずのない男が告げた不吉な予言を重く見て、船の出港を止めようとするアレントとサラ。しかし総督は二人の言葉を無視し、ザーンダム号は出航するのですが――開かれた帆に描かれていたのは、奇怪な目の紋様。それこそは、かつて欧州を席巻した末にようやく退治されたと言われる悪魔「トム翁」の印であり、そしてそれはアレントとも浅からぬ因縁があったのであります。

 その後も船内にはトム翁の印が次々と現れ、さらに死んだはずの病者が船内を跳梁、存在しないはずの第八の船の灯りがザーンダム号を追うなど、続発する有り得べからざる怪異。この怪異の謎を解き、合理的な解決を導くことができるのは、名探偵ピップスのみですが――しかし彼は総督によって罪に問われ、独房に囚われの身の状態なのです。
 身動きの取れないピップスに代わって事件の謎を追うアレントとサラですが、二人をあざ笑うように怪異は続き、やがて決定的なカタストロフィーが訪れることに……


 ミステリとしては定番の趣向の一つであるクローズド・サークル――外界と隔絶され、人間の出入りがない閉鎖空間で起きる事件を描く物語は古今東西で描かれ、その中でも客船というのは、動く密室として一つの定番といえるでしょう。
 しかも本作の場合、ピップスとアレント、サラのほかにも、傲岸不遜で冷酷な総督と影のように従う家令、歴戦の護衛隊長、伊達者の船長にアル中の主任商務員、更にはサラの娘の天才少女、総督の美貌の愛妾、老魔女狩り人とその女弟子、さらに一癖も二癖もある船員たちと、その密室に集う者たちも多士済々、何が起きても不思議ではありません。

 本作はそんな客船を舞台としつつ、背景となる時代は航海術がいまだ発展途中の(つまり何が起きてもおかしくない)十七世紀――そして何よりも、その船上で起きる事件の数々が、怪奇小説のそれといっても違和感のないような強烈なものの連続という、大きな独自性があります。
 この時代ならではの舞台背景で発生する怪奇な事件を描く――本作はいわば時代怪奇ミステリとでもいうべき、贅沢な一作です。


 しかし本作のユニークな点はそれだけに留まりません。何しろ本作は邦題に「名探偵」と冠し、作中にもその名探偵が登場しながらも、先に述べたとおり、実際の探偵役はその助手が務めるのですから。
 本作の名探偵ピップスは、一言で表現してしまえば、十七世紀のホームズとでも言うべきキャラクターであります。頭脳明晰にして卓越した観察眼と推理力を持ち、数々の難事件を解決――そしてその事件の内容は、元兵士で彼の相棒にして友人、そして崇拝者であるアレントによって文章化され、世界中でその名は知られているという人物なのです。

 しかし、総督の依頼でバタヴィアを訪れ、見事事件を解決したにもかかわらず、その総督によって囚われの身になってしまったピップス。かくて本作では、ピップスの助言を受けつつアレントが「探偵」の一人となるのですが、かつて傭兵として各地の戦場を渡り歩いた不死身の男の捜査は、名探偵というよりハードボイルド気味になってしまいます。
 荒くれ者――というよりほとんど表社会では生きられない犯罪者ばかりの船員たち、そして荒っぽさでは彼らに勝るとも劣らないマスケット銃兵たちを向こうに回し、アレントが文字通り奮戦する姿は、舞台や題材とのギャップもあって、強い印象を残します。(もっとも彼は、実は決してそれだけの男ではないのですが……)


 しかし本作の「探偵」は一人ではありません。もう一人、総督夫人のサラは、ある意味アレント以上に印象的な人物像なのですが――長くなりましたので、申し訳ありませんが次回に続きます。


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