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2022.12.02

小林久三『真夏の妖雪』(その二) 残酷な時代の流れに取り残された者の視点

 小林久三の歴史ミステリ短編集『真夏の妖雪』、後半の作品の紹介であります。前半はいずれも明治・大正を舞台とした作品でしたが、ラスト二編は江戸時代が舞台となります。

「雪の花火」
 京都で起きた殺人事件で警察に捕らえられた被害者の妾・葉子。犯行を認めた葉子ですが、密かに彼女に想いを寄せる高等遊民・本木は、犯行時刻に彼女を別の場所で目撃していたことから、無実を信じて独自に調査を始めることになります。
 そんな中、葉子の弟が、犯行現場近くで京電(路面電車)の先走りを務めていることを知った本木。弟の犯行を疑う本木ですが、電車の運転手から事件当日のある事実を聞き……

 本書の中では直接史実に絡むわけでもなく、小品に近い印象のある本作。殺人事件のトリックも大掛かりなものではないのですが、しかしこの時代ならではの、ちょっと現代人ではすぐには思いつかないものとして、印象に残ります。
 しかし直接ではないものの、本作においては、物語の背景として描かれる日露戦争の旅順攻防戦が、ラストで思わぬ形で本筋と結びつくことになります。葉子には一方的に想いを寄せるだけで、実際には一度も言葉を交わしていない本木のように、そんな本作の構図からは、この国における決して交わることのない二つの世界――一種の分断の形が感じとれるのです。


「「解体新書」異聞」
 古河で漢方医を営む迂斎のもとに担ぎ込まれた怪我人――それはかつて彼の弟子であり、娘と通じながらも裏切って蘭学医に鞍替えした男・順平でした。迂斎の凋落の原因を作り、娘を心身ともに傷つけた順平に殺意を向ける迂斎ですが――しかし彼が目を離したわずかな間に、順平は忽然と姿を消してしまったのであります。
 そして翌日、離れた場所で、何者かに引き裂かれたような無惨な姿で見つかった順平。その現場で迂斎は、解剖図である『解屍篇』を著した藩医・河口信任と出会うのですが……

 冒頭に述べたとおり、ここから二編は江戸時代を舞台とした時代ものとなります。その一編である本作のタイトルには「解体新書」の文字がありますが、物語の視点はある意味その反対側――漢方医学側から描かれることになります。

 基本的に蘭方医学を題材とした物語の場合、漢方医学は、それと敵対するもの、旧態依然・頑迷固陋な存在という描写がほとんどであり、それは本作の主人公というべき迂斎においても同様ではあります。しかし本作で迂斎を通じて描かれるのは、現代の我々が見落としている視点――当時においてはそれがむしろ自然であり、当然であった視点からの物語なのです。

 彼自身には責任のない時代の流れに押し流され、取り残された迂斎。本作で描かれる事件は、そんな残酷な時代の趨勢の、一つの象徴ともいえます。
 そんな物語の結末で語られる迂斎の姿――それは、冒頭にその著述が引用されている河口信任の作中の(いささか極端な)言動と対比した時、決して異常でも非難されるべきものではなかったことが、その時代の先に生きる我々にも理解できることでしょう。

 そんな本作ですが、ミステリのトリックとしては、本書で最も凝った部類に入るかもしれません。
 迂斎が真実に気づくきっかけも巧みなのですが、最も印象に残るのは、被害者の死体が何故そのような姿となったか、という点でしょう。冷静に考えればヒントはあるのですが、しかし物語の展開と結びついて示されるその答えには、やはり脱帽です。


 想定外に長くなってしまいました。ラストの表題作「真夏の妖雪」の紹介は、次回といたします。


『真夏の妖雪』(小林久三 講談社文庫) Amazon

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