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2022.12.23

スチュアート・タートン『名探偵と海の悪魔』(その二) 探偵たちにとっての「探偵」の意味

 十七世紀、バタヴィアからオランダに向かう帆船で次々と起きる怪奇の事件に挑む探偵助手と総督夫人の奮闘を描く『名探偵と海の悪魔』の紹介、後編であります。名探偵の助手・アレントともに探偵役を務めるヒロイン・サラの人物像とは、そして二人にとって探偵という存在とは……

 バタヴィア総督夫人として、恵まれた生活を送っていたはずのサラ。しかしその実態は、総督から心身ともに虐待に等しい扱いを受ける毎日――それでも娘を守るため屈辱に耐えて生きる彼女は、この航海で決して命を落とすわけにはいかない事情を持った身でもあります。
 かくて自分の身を、いや自分の大切な者たちの身を守るために、彼女が元々持っている聡明な頭脳を発揮し、「探偵」として艦隊に迫る危機を避けるべく動き出すサラ。彼女は総督夫人という立場を利用して、アレントとはまた異なる方向とやり方で、謎に挑むことになります。

 アレントとサラという、立場も能力も全く異なる二人の「探偵」が――時に周囲の人々の助けを得て――一人ではとても立ち向かえないような怪事件に挑むというスタイルも、本作の特徴と言ってよいでしょう。


 しかし本作において、「探偵」という立場は、単に謎を解き、犯人を捕らえる役目という以上の意味を持つことが、やがて明らかになっていくことになります。

 実は名家に生まれながらも、それに飽き足らず生家を飛び出し、自分自身の力を試すために傭兵の世界に飛び込んだアレント。しかしそこで彼が見たものは、結局はより立場の弱いものが権力を持つ者の走狗とされ、弊履のごとく使い捨てられる世界だったのであります。
 しかし「探偵」にとって――探偵が解き明かす真実にとっては、社会的な身分も財産の多寡も、肉体的な強さも弱さも関係ありません。真実の前では全ては平等であり、そして探偵によって罪あるものはその罪を暴かれるのですから。

 そしてサラにとっても――かつては自由な精神を持ち、明るい未来を心に描いていた少女だったものが、今は権力者の悪意に寄って籠の鳥にも劣る立場となってしまった彼女にとっても、「探偵」は特別な意味があります。
 たとえ肉体は囚われても、その心の中には自由がある。そして彼女が「探偵」として真実を求めるための推理を巡らすということは、彼女が一個の人間として、その自由を行使していることに等しいのですから。

 つまり本作において(少なくとも本作の「探偵」役にとっては)「探偵」とは、人間の理性と尊厳の象徴――人間が単なる動物とは異なる善き魂を持つとともに、それぞれに平等で尊重されるべき一個の自由な魂を持つ存在であることを、証明する役割を持つのであります。

 ――と言い切るのは、もちろん牽強付会にすぎるかも知れません。しかし物語の中で明かされるトム翁の力と正体、そしてそれがザーンダム号にもたらした悍ましい影響をを――さらにそれが招いた終盤の展開を思えば、探偵とこの悪魔が対照的な存在、あるいは表裏一体の存在であると言い表してよいのではないか、と感じます。

(もっとも、そんな二人の「探偵」の信念は、やはり時代を数百年先取りした、この時代においてはあまりにも異端であるという印象は否めないのですが――それが二人が主人公たる所以、というのは身も蓋もない話でしょうか)


 もっとも、この「探偵」観を突き詰めていくと、このオチはありなのか!? という気もしないでもありません(いやむしろそれで正しい――というのはちょっと語りすぎか)。

 しかしこの人を食ったような結末も含めて、本作が最初から最後まで、徹頭徹尾こちらを驚かせ、楽しませてくれる(そして人によってはには色々と考え込ませてくれる)作品であることは間違いありません。
 そして――さすがに続編は難しいかとは思うものの、本作の登場人物たちのその後を見てみたい物語であることもまた、間違いないのであります。


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