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2022.12.03

小林久三『真夏の妖雪』(その三) 長英脱獄 真夏の雪が象徴するもの

 小林久三の時代歴史社会ミステリ短編集というべき『真夏の妖雪』の紹介のラストであります。今回は掉尾を飾る表題作を紹介します。

「真夏の妖雪」
 天保十五年七月、江戸で破牢した高野長英が城下に潜入したとの噂に、非常警戒網が引かれた下総古河藩。岡っ引きの蝮の銀次もそれに駆り出されるのですが――その最中に彼も跡継ぎで息子の直吉が、何者かに殺害されたとの報が入ります。
 その懐には真夏だというのに雪があったという、異様な状況に疑問を持ちつつも、息子の仇討ちに異常な執念を燃やす銀次。彼は町に出没する黒ずくめの渡世人に疑いの目を向け、鳥居耀蔵の密偵ではないかと疑うのですが、事態は意外な進展を見せることになります。

 そんな中、「雪」など初めからなかったかのように口を噤む目撃者たち。その一方、親の代から銀次に十手を預けている町廻り同心・間中新八郎は、上役からある命令を受け……

 巻末の表題作は、本書の四分の一を占める中編――冒頭に引用された下総古河藩土井家の家老・鷹見泉石の日誌(おそらくこの部分は創作だと思われますが)にあるとおり、高野長英の脱獄を背景に、それがきっかけで引き起こされた奇妙な殺人事件の顛末が描かれることになります。

 時代小説でも様々に題材となっているこの長英の脱獄ですが、その影響は、単に一囚人の脱獄という治安上・法秩序上の問題に限られません。思想犯というべき扱いであった長英の脱獄は、一種の政治的な事案――長英ら蘭学者を憎んでいた鳥居耀蔵、そしてその後ろ盾である水野忠邦の不興を買うことを恐れた諸藩の動きが、本作の背景にはあります。
 そしてそれ故に銀次の探索も、藩の内側に作られた壁にぶち当たることになることになるのですが――その点も含めて、本作もまた、一種の社会派というべき作品というべきでしょう。

 しかし本作のユニークな点は、物語の中心となるのが岡っ引きの銀次という点でしょう。蝮の仇名を持つように、執念深く陰険で暴力的という、ある意味史実の上の岡っ引き像に忠実な人物(そしてその息子の直吉も、タイプこそ違えやはり同様の人物)として描かれる銀次は、とても本作のような物語の中心となるには相応しくないような人物であります。
 しかし結末に至り、そんな明らかに読者の感情移入を拒む彼の存在が本作には必要であったことが、理解できるようになるのです。

 歴史には偉人というべき人物は確かにいます。しかしその命は、本当に他者よりも価値あるものなのか。偉人ではない者、周囲から爪弾きにされるような者の命は、価値ないものとして打ち捨てられるしかないのか――本当は既に答えが出ているのかもしれないこの問いかけに対して、本作は悲痛な異議申し立てを行っているといえるでしょう。
 そしてもう一つ、本作の鍵となる真夏の雪の存在もまた(物語背景と合致したものであるのはもちろんのこと)、歴史における「価値あるもの」というものを逆説的に象徴している――そう感じさせられます。

 三度笠の男絡みのエピソードなど、ちょっと時代ものを意識するあまり浮いてしまった感はあるのですが(いくら何でもちょっと強すぎるでしょう……)、しかしそうした点を差し引いても、表題作に相応しい時代社会ミステリの佳品であることは、間違いありません。


 以上六編、正直なところ読んでいて気が重くなるような作品ばかりではあるのですが、しかしこうした作品が描かれるべき意味があったことは――いや、今に至ってもあることは間違いありません。この時期に手に取ったのは偶然ですが、読む価値のあった、そして社会派ミステリというものの意義を考えさせられた一冊です。


『真夏の妖雪』(小林久三 講談社文庫) Amazon

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