手塚治虫『火の鳥 ヤマト編』 火の鳥が語る生命と人生の意味
手塚治虫の『火の鳥』、その時系列順でみた場合に二番目に来る物語であります。ヤマトの王である父に命じられ、クマソの王・タケルを討ちに来たオグナ。彼が火の鳥と出会ったことから、運命は大きく変わっていくことになります。
四世紀頃の日本――ヤマトに君臨するソガ大王は、自分の壮大な墓を造り上げることと、ヤマトに都合のよい歴史を残すことに血道をあげる毎日。しかしクマソの王・タケルが、事実に基づいた歴史を書き残そうとしていることを知った大王は、王子たちにタケル討伐を命じるのでした。
その役目を押しつけられたのは、墳墓造営に反発して反対運動に加わった末に、謹慎を言い渡されていた第五王子・オグナ。彼はごくわずかな供のみをつれて真っ正面からタケルの下を訪れ、タケルもオグナを歓待するのでした。
クマソで時間を過ごす中、タケルの度量の大きさを知るオグナ。さらにこの国に火の鳥がいることを知った彼は、ある目的からその血を得るため、夜毎火の鳥に笛を聴かせるようになります。
そんな彼に反発しつつも興味を惹かれ、やがて激しい恋に落ちるタケルの娘・カジカ。自分の自身目的と、タケルやカジカに寄せる心との板挟みになり、悩み苦しむオグナに、火の鳥が語りかける言葉とは……
他の古墳とは大きく異なる姿を持つ石舞台古墳と、ヤマトタケル伝説を題材に展開するこの「ヤマト編」。主人公であるオグナが、やがてヤマトタケルと呼ばれる存在であることは、言うまでもありませんが――しかし本作のヤマトタケル=オグナは、決して伝説に登場するような武張った英雄ではなく、むしろナイーブで理想家肌の青年として描かれます。
大王である父が自らの墓のために民に負担をかけ、特に殉死という名のいけにえとして墓に民を生き埋めにしようとしていることに、猛反発してきたオグナ。
古墳がこの時代の――というだけでなく、他の時代にも共通するものではありますが――王の権力を象徴するものであるとすれば、オグナは王子でありながら、その権力を否定する者、大王とは対極に位置する者であると言えるかもしれません。
(ちなみにここで大王にソガという名が与えられているのは、石舞台古墳に埋葬されているのが蘇我馬子という説によるのでしょう)
そしてオグナが火の鳥を求める理由も、この彼自身の生き方によるものであります。
さらにその方法が、笛を聴かせる――そしてそこで奏でられる曲もまた深い意味を持つのですが――というのは、彼が他の火の鳥を求める者たちと大きく異なる存在であることを、はっきりと象徴しているといえるでしょう。
そんなオグナが火の鳥に笛を聴かせる場面は、本作の中でも一際印象に残る場面であり――そして火の鳥もまた、そんな彼の想いに応えるように彼に語りかけて道を示し、彼に自分の血を与える場面は、ある意味、「黎明編」の終盤の展開と対照的とも感じます。
オグナが火の鳥の語りかけた内容をどう受け止めたのか、そして火の鳥の血を誰に与えたのか――それを描く物語の結末は、到底ハッピーエンドと呼べるものではないように感じられるかもしれません(ここで日本書紀のある記述を踏まえた描写を用いるのも凄まじい)。
しかし、かつて火の鳥が「黎明編」の主人公・ナギに語り、そこで彼が理解することができなかった生命と人生の意味――それをオグナが理解し、自分自身の生を貫いた姿は、ひどく感動的に感じられます。そしてそんな彼に寄り添う者がいたこともまた。
実のところ、マンガとしての描写としては、ナンセンスなギャグ混じりな部分が非常に多く、それが物語のテンポを悪くしていることは否めません。
しかしその点はあってなお、『火の鳥』を構成する物語の一編として、そして何よりも人の限りある生の意味を描いた物語として、名作と呼ぶべき作品であることは、間違いありません。
『火の鳥 ヤマト編』(手塚治虫 講談社手塚治虫漫画全集ほか) Amazon
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