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2023.01.15

陳漸『大唐泥犁獄』 探偵は玄奘 驚天動地の大スペクタクルミステリ!?

 玄奘といえば、唐から天竺に苦難の旅を繰り広げて貴重な仏典を持ち帰るという、『西遊記』の題材となった偉業を成し遂げた人物。しかし本作はその玄奘を探偵役に、唐を揺るがす大事件を描いた奇想天外なミステリであります。罪ある人間が死後落とされるという泥犁獄を巡る奇怪な陰謀とは……

 仏道を極めるため、一箇所に留まらず、旅を続けてきた玄奘。彼は、親代わりに自分を育て、そして今は生き別れとなっている兄・長捷の消息を尋ね、従者の天竺人・波羅葉とともに、霍邑県を訪ねることになります。僧として将来を嘱望されながら、師を惨殺して姿を消した長捷――彼は霍邑の前県令・崔ギョクが自殺する直前にも、その前に現れたというのです。
 手がかりを追う玄奘は崔ギョクの妻であり、今は後任の県令・郭宰に嫁した優娘と、その娘・緑蘿に会うのですが、成果はなし。それどころか彼は郭宰の屋敷で二度も命を狙われ、二度目の下手人は、玄奘とは縁もゆかりもないはずの人物だったのです。

 郭宰に迷惑をかけまいと屋敷を離れ、近くの興唐寺を頼った玄奘。崔ギョクが生前建立に尽力したというこの寺がある霍山には、死後に泥犁獄(俗世で大罪を犯した者が落ちる地獄)の判官になったという彼を祀る廟がありました。玄奘はその廟を訪ねた折りに奇怪な光景を目撃した上、三度命を狙われるのですが、ついに正体を現したその犯人はなんと……


 歴史ミステリ、それも有名人探偵ものはこのブログでもしばしば取り上げてきましたが、玄奘が探偵役というのは、かなり珍しいでしょう。しかし傑出した僧として知られる――当然ながら頭の働きも非凡であろう玄奘であれば、なるほど納得できるものがあります。

 しかしそんな玄奘であっても、本作は苦戦必至。何しろ上で紹介した部分は全体の1/4程度。そこまででも「長捷による師殺し」「長捷と会った直後の崔ギョクの自殺」「優娘の体に残された怪しからぬ痕跡」「県令の屋敷の中で再三襲われる玄奘」「判官廟の奇現象」と謎また謎の連続なのですから。
 その後も謎の提示は続くのですが、その果てに玄奘主従が目撃するのは、興唐寺に秘められた巨大な秘密――そしてそれは、皇帝・李世民や側近たちをも巻き込んで、とてつもない方向に進んでいくのです。

 物語後半で描かれるスペクタクル(そう、本作の後半はもはやミステリというより一大スペクタクルに)については、核心に触れてしまうためにここで詳しく述べられないのが残念ですが――そのスケールたるや、本当に唖然とさせられるレベルであります。
 特に終盤、李世民とある人物が繰り広げる○○巡りは、既に読者にはタネはほとんど割れているにもかかわらず、直球で描かれればもう納得せざるを得ない迫力。無茶と言おうが無理と言おうが、既に書かれてしまったものの前には、そんな言葉は力を失います。


 しかし本作はそんな豪腕ぶりを見せつつも、物語として、不思議な整合性を持ちます。その一つが、本作の黒幕・真犯人の「動機」であります。
 何ゆえ、これほどまでにオーバーテクノロジーを用いた(地の文でぬけぬけと「まったくもって、時代を超越しているではないか!」と言っているのがおかしい)大仕掛けを繰り出したのか――その目的は、なるほどこの時代、そしてこの舞台を考えれば、それなりに納得できるものなのですから。そう、いわば歴史ミステリとして成立させる要素が、本作には確かに備わっているのです。

 そしてもう一つ本作の見事な点は、登場人物のほとんど全員が――玄奘の忠僕である波羅葉も、殺人ツンデレ美少女の緑蘿も、ある意味娘以上にヒロインである優娘も、絶対王者であるはずの李世民も、この事件の真の黒幕である人物とその協力者も――誰もが自分自身の意志と目的を持ちながらも、同時に矛盾した心性を抱え、それ故に苦しむ姿を描く点であります。
 それがあるからこそ、どれほど豪快極まりない事件や仕掛けを描こうとも、本作には人間の息吹が感じられるのであり――そしてそれ故に、こうした人々を救うために仏道を歩もうとする玄奘の姿が輝くのです。
(しかしそんな彼も、ある人物に対しては語る言葉を持てず、ただ逃げるしかないという矛盾を抱えるのですが……)


 玄奘を探偵役に据えた、この時代だからこそ成立する歴史ミステリとしての顔。とてつもない大仕掛けが繰り出される豪腕ミステリとしての顔。そして事件に関わる人々の心中を巧みに描くドラマとしての顔――様々な顔を持ちつつも、一つの作品として整合性を持ちつつ成立した、奇跡のような本作。
 本作は玄奘を主人公とした全五巻予定のシリーズの第一弾とのことですが、是非とも第二巻以降も訳していただきたいものです。


『大唐泥犁獄』(陳漸 行舟文化) Amazon

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