手塚治虫『火の鳥 羽衣編』 舞台の上で繰り広げられる異色のエピソード
『火の鳥』の中でも、実験的な手法とその内容から、異色作というべき「羽衣編」。平安時代中期を舞台に、羽衣伝説を題材とした哀切な物語が展開します。孤独な男の前に現れた美しい布を身に着けた美女の正体とは……
ある日、三保の松原の松の木にかけられた美しい布を見つけ、自分のものにした漁師のズク。その前に現れたおときと名乗る美女は、自分は遠い空の上の国から旅をしてきた人間であり、その布は大切なものなので返して欲しいと訴えるのでした。
お上に虐められ通しの辛い毎日、おときが一時でも一緒に暮らしてくれれば幸せになれるかもしれないと頼み込むズク。その願いにおときが応えて三年、仲睦まじく暮らした二人の間には子供も生まれるのですが、そこに藤原秀郷に仕える侍が現れます。
平将門の乱鎮圧のため、ズクを兵として連れて行くという侍に対し、おときはズクを見逃してもらう代わりにと、あの布を差し出すのですが……
日本各地に、いや世界各地に残る天女の羽衣伝説。言うまでもなく本作はその伝説を題材とした物語ですが――まず目を奪われるのは、その表現のスタイルであります。
本作では冒頭とラストに、能舞台(ラストカットでは人形浄瑠璃が意識されているようですが)を思わせる舞台と観客の姿が描かれ、本編はあたかもその舞台上で演じられているように、同じ背景――鏡板に描かれたものを思わせる松と、ズクの暮らす陋屋の前で、最初から最後まで描かれるのです。
この辺りは、羽衣伝説の舞台として有名な能の「羽衣」を意識――舞台がこの能と同じ三保の松原という点も含めて――してのものだと思われますが、漁師が天女の舞に感じ入ってすぐに羽衣を返す能と異なり、本作では他の伝説と同様、漁師と天女の間には子供が生まれることになります。
その一方で、伝説では夫の留守中に羽衣を見つけた天女が、それを身に着けてさっさと故郷に帰ってしまうのに対して、本作では終盤に大きな違いが――本作ならではの物語が描かれることになります。
(この先、作品の核心に触れます)
実は、絶望的な戦争が続く未来の人間であり、火の鳥の導きでこの時代に逃れてきたおとき。天女の羽衣は未来の衣類であり、それがこの時代に残っては、歴史が変わってしまう――そんな悩みを抱えつつも、愛するようになったズクのために、彼女は羽衣を差し出すのであります。
しかしズクは羽衣を取り返しに行ったまま戻らず、そして絶望したおときは、羽衣以上のパラドックスである自分の子を手に掛けようとするも……
時代が異なるとはいえ、同じ人と人との間に生まれた愛と絆の姿と、それが人の手に寄って断ち切られ、失われていく姿を描いた本作。火の鳥の存在は言葉で語られるのみながら、そこで描かれる人間の卑小さと尊さは、やはり『火の鳥』ならではでしょうか。
……と言いつつも、やはり色々と違和感のある本作。この辺りはかなり有名なお話ではありますが、初出ではおときは核戦争の犠牲者で、放射能障害に関する表現があったために後の版で修正が入ったとか、本作は『望郷編』のプロローグ的位置づけだったのが色々あってナシになってしまったとか――外側の事情で色々あった末に、他のエピソードと接点のない、内容的な異色作になってしまった作品といえるかもしれません。
個人的には、将門の領地なのに三保の松原? とか、平良望が亡くなって最大でも三年しか経ってないのにもう秀郷の討伐軍が? とか、年表マニア以外には本当にどうでも良いことが気になるのですが、この辺りも修正の副作用のようではあります。
ちなみに本作は、かつて京都の駅ビルの中にあった手塚治虫ワールドでの上映用にアニメ化されています(現在は動画配信サイトで視聴可能)。手法的には普通のアニメになっていますが、内容の方も原作とは大幅に変更され、山賊のズクが不思議な少女の導きでトキと出会い、その不思議な衣を奪うも、やがてトキの優しさにほだされて一緒に暮らすようになり――という物語となっています。
ズクが猿田彦顔ということもあり、羽衣編というより鳳凰編の我王と速魚のくだりのリプライズという印象もありますが、トキとズクの、いかにも『火の鳥』らしい因縁など、原作と別物と思えばそれなりに楽しめる作品であります。
しかし個人的には猿田彦顔のズクの子供の名前が「ナギ」というのにグッと来たのですが、この子、エンディングでは……(本当にどうしてこうなったのか)
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