手塚治虫『火の鳥 乱世編』 手塚版平家物語 源平に分かれた恋人たち
『火の鳥』第9部は乱世編――平安時代末期、源平合戦を背景に繰り広げられる、権力と火の鳥に取り憑かれた者たちの争い。そしてその争いに巻き込まれ、源氏と平氏に別れることになった若き恋人同士の弁太とおぶうの運命は――手塚版『平家物語』というべき物語が展開します。
平家が権力の絶頂にあった時代――都に薪売りに行った際に櫛を拾い、恋人のおぶうに持って帰ったマタギの弁太。しかしその櫛が、平家と対立する藤原成親の持ち物であったことから関与を疑われ、弁太とおぶうの親は殺された末に、おぶうも侍たちに捕らえられることになります。
おぶうを追って都に向かい、侍相手を次々襲って恐れられるようになった弁太は、やがて都の浮浪児たちと知り合い、彼らが神サマと呼ぶ人物(実は『鳳凰編』の我王)、そして少年時代の源義経と出会うのでした。
一方、おぶうはその美貌に目をつけた平宗盛の妻の策で殿中の女官にされ、さらに清盛の侍女となることになります。清盛はおぶうの優しくも飾らない気性に安らぎをおぼえ、そしておぶうの方も、絶対的な権力者である清盛の中の孤独と恐れに触れ、次第に彼を慕うようになるのでした。
しかし一門の未来を案じ、死を恐れる清盛は、その血を飲んだものを不老不死にするという火焔鳥を求めて暴走、宋から火焔鳥を取り寄せたものの、孔雀に過ぎなかったその鳥の血を飲んだ直後に、おぶうの腕の中で清盛は息絶えることになります。
清盛の死により没落していく平氏と、ついに決起した木曾義仲や源頼朝たち源氏の間で始まる激しい戦。鞍馬山以来義経と行動を共にしてきた弁太も、義経に引きずられるままに戦に加わり、その一方で吹の方と呼ばれるようになったおぶうは、自ら望んで平氏の人々と行動を共にすることになります。
そして壇ノ浦の戦いの最中、ついに再会した二人は……
鹿ヶ谷の陰謀の少し前から始まり、義経の最期まで――ほぼ『平家物語』のそれと対応した内容を描く本作。絶頂からの平氏の没落と、源氏の逆襲という激動の時代――本作は限られた紙幅で、巧みに平家物語を、そしてその背景となる史実を再構築していきます。
その狂言回しというべき存在が、弁太とおぶうの二人であることは言うまでもありません。都の近くの山で平和に暮らす恋人同士であった二人が、数奇な運命に飲み込まれた末に源氏と平氏、その双方の中心近くに存在することになり、両者の興亡をつぶさに目撃する――本作はそんな構成の物語です。
それは、先に名を挙げた人々を中心に語られる源平合戦の物語に対する一種のアンチテーゼであり、そしてこれまでの過去サイドの『火の鳥』に共通する、反権力の、庶民の視点から歴史を語る姿勢でであることは言うまでもないでしょう。
しかし、弁太――その名と行動からわかるように、彼が弁慶のモデルとなるのですが――が、ひたすら状況に流され、ほとんど人間的に成長しないまま義経に引っ張り回される一方で、おぶうの方は自分の考えを持ち、やがて平氏を引っ張っていく存在にまでなっていくのが、何とも興味深い。この辺りの男女関係の描写にもまた、『火の鳥』らしさを感じるところです。
(もっとも、どんどん「武士」としての素顔を見せていく義経に対し、弁太が反発しつつも口だけで結局従うのはフラストレーションが溜まるところですが――だからといってラストで溜飲が下がるわけでもなく)
そして火の鳥ですが、実は本作においてはエピローグに至るまで登場せず、作中で中心となるのは紛い物――清盛が宋の商人から火焔鳥だと掴まされたただの孔雀であります。しかしその紛い物に清盛が惑わされただけでなく、義仲もこれを求めて暴走し、頼朝もこのために疑心暗鬼に陥り――ただ義経のみが火焔鳥など知らず暴れていたというのも、実に皮肉というべきでしょう。
しかしエピローグにおいて、この義経と清盛は、真の火の鳥と見えることになります。それも、ひどく皮肉で恐ろしく、物悲しい形で。これまた火の鳥の真価(?)を発揮したと言いたくなる結末であり、そして源平合戦に対する作者の一つの評価を示すものとも感じます。
ただ、冷静に考えてみると清盛と義経は直接対決どころか出会ってもおらず、ましてや――というわけで、何となく対比関係として釈然としてしないものが残るのも事実(義朝ならまだわかるのですが……)
先に挙げた弁太の態度もあり、どこかスッキリしない読後感が残るのはこの辺りに起因する――というわけではないかもしれませんが、個人的には、面白いと思いつつも無条件で評価しにくい部分も残るエピソードであります。
『火の鳥 乱世編』(手塚治虫 講談社手塚治虫漫画全集ほか) 第7巻 Amazon / 第8巻 Amazon
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