『地獄楽』 第5話「侍と女」
蟲たちの毒に倒れた佐切に対して、厳しい言葉をぶつけ、帰還を促す源嗣。悩みに沈む佐切だが、画眉丸はそんな彼女に意外な言葉をかける。一方、ヌルガイを連れて島から脱出せんとする典坐は、船の墓場に迷い込み、怪物の襲撃を受ける。絶望に暮れるヌルガイに対して典坐は……
前回ラストに毒で昏倒した佐切と、典坐・ヌルガイ組、その両者を中心に描かれる今回のエピソード。典坐とヌルガイは、初登場以来ようやくスポットの当たったコンビですが、これまたそれぞれに個性的というか、背負ったものがあるキャラクターとして描かれます。
作中ではこれまで「死罪人」としてひとくくりにまとめられ、第2話での選別過程もあって、非常に凶悪で戦闘能力も高い人間たちという印象がありますが、もちろん彼らもそれぞれに異なる人間であることは言うまでもありません。その中でもヌルガイは、自身で何ら罪を犯していない――幕府の側から、生きていること自体が罪と決めつけられ、自分以外の同族を全て殺されたという悲劇的な存在であります。
そしてそのパートナーである山田浅ェ門典坐は、それぞれ重いというか個性的というか――どちらかといえば静あるいは陰のイメージがあった浅ェ門たちの中では珍しい陽キャ。その一方で、たとえ幕府が決めたことであっても、間違っていることは間違っていると自分の頭で判断し、行動することができる好青年であります。
対照的な二人が、窮地において協力し合うというのは定番のシチュエーションですが、ここではむしろヌルガイがこれまでの運命の変転に膝を屈しかけたところに、典坐が直感と直球で己の想いをぶつけ、ヌルガイを立ち上がらせる展開なのが印象的であります(「それならやる事ァ一つでしょう」は、後から振り返ってみると非常にグッとくる台詞であります)。
本作は群像劇でありつつも、それと並行して個々の浅ェ門と死罪人のパートナー関係が物語を構成する単位となっている感がありますが、この典坐・ヌルガイは、ある意味他の面子に先駆けて、「生き延びる」という目的において対等に結びついたパートナーになったかと感じます。
しかしヌルガイ、明らかに原作初登場時よりも可愛く描かれているのはご愛敬というか何というか……
そして前回いきなり昏倒した佐切。これまでもひたすら悩み、迷ってきた感のある彼女ですが、今回は同じ浅ェ門の兄弟子・源嗣から、決定的な言葉をぶつけられることになります。
「お主は侍である前に山田家の娘だ」「女の限界だ」「女には荷が重い」「お主は女だ」「女には役割があるのは当然の事だろう」「女子供は場違いだ」
これでもかという、女性であることに対する「呪いの言葉」――ここでは肉体も精神性も見るからにマッチョな源嗣の口からぶつけられることで、強烈なインパクトがありますが、しかし第2話で描かれたように、これはこれまでも様々な形で佐切を悩ませてきたものであります。そんな呪いの言葉から逃れるために浅ェ門になったとしても、なおもその言葉は――この地獄と極楽のような異郷でもなお――自分に迫ってくる。そんな佐切の心中は、察するに余りあります。
(しかし源嗣、妹には何と言っていたのか大いに気になるところですが……)
しかしそんな佐切にとっての救いとなったのが、やはりパートナーである画眉丸であります。第1話で彼に死を覚悟させたほどの佐切の強さは、あれは錯覚だったのか――と最近の展開だけみると失礼にも思ってしまいそうになりますが、彼女の強さを画眉丸自身が語るのですから、それは間違いないのでしょう。そしてその言葉に背を押されるように佐切は源嗣に対して――というクライマックスには、一種の爽快感があります。
思えば今回のヌルガイも佐切も、己ではどうにもならないものに振り回され、壁にぶつかって苦しんできた人間。そんな二人が、それぞれにパートナーからの直感的な言葉によって自らの足で立ち、望む道を歩もうとする――そしてその想いは、彼女たちだけでなく、今この島に足を踏み入れた者たち皆に共通のものであることを示すことで、この物語の一つの方向性を示しているように感じられるのも興味深いところであります。
しかし、ようやく佐切が一歩を踏み出した直後、ラストで描かれる新たな悲劇。早くも佐切の向かう道が試されることになりますが……
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