朝松健『一休どくろ譚・異聞』(その三)
帰ってきた朝松一休シリーズ、『一休どくろ譚異聞』の紹介の最終回であります。
「井戸底の星空」
六角家の別邸の庭から出土した石の蛇。それに触れた森は、出土場所に井戸があったと語り、そして自分の目が見えなくなった時のことを思い出すのでした。
そして奇怪な男の影が出没するという別邸の庭を訪れたものの、そこから十年前の世界に迷い込んでしまった一休。そこで一休は、星空の井戸に出没する化け物を退治しに来たという行者と出会あうのですが……
奇怪な石の蛇が持ち込まれたのをきっかけに、一休が時を超えた冒険を繰り広げる本作は、目が見えていた頃の幼い森の登場、刻一刻と変貌していく不気味な影の怪、事件の背後の「あの流派」の恐るべき企てと、見所の多いエピソード。
しかし最も印象に残るのはその結末でしょう。現在の哀しみを変えたいという、一休の祈りにも似た期待の行方は――何ともほろ苦い味が残ります。
「魔仏来迎」
兄弟子の養叟宗頤から、大徳寺に呼び出された一休が見せられた、鎖で封印された鉛の匣――その中に封じられたのは、六代将軍義教が変じた「魔仏」。封印が解ける明日の夜明けまでにこの匣の中身を葬らなければ、魔仏が解放されると知った一休は、養叟とともにこれを迎え撃つ決意を固めるのですが……
そして本書においても最大の決戦というべきはこのエピソード。あの万人恐怖の足利義教と「魔仏」の関わりについては長編「一休魔仏行」でも触れられてましたが、その恐るべき後日譚――というより本編ともいうべき物語が本作であります。
生前の時点で既に魔人ともいうべき存在だった義教が変じた「魔仏」とは? この大敵に挑むに、一休もこれまで犬猿の仲であった養叟宗頤と共同戦線を張ることになります。
しかし復活した魔仏のまるで●●●●●●●のようなその脅威の描写、そしてその恐るべき正体と畳みかけるような展開には、手に汗握るばかり。しかしその先の、仏教者ならではの魔仏との対峙の仕方には、ただ唸らされるばかりです。
「口寄せの夜」
今は亡き一休の亡霊が人々を迷わせている一件を解決するため、都一番の行者・異庭星影を訪れた親元。異庭とともに売扇庵に向かった親元は、そこで様々な怪異に遭遇し……
親元の視点から描かれる本作は、異色作揃いの本作の中でも飛び抜けた作品。何しろ一休も森も既に亡く、その亡霊退治に親元が(どこかで聞いたような名字の術者とともに)乗り出すというのですから……
死んだくらいでは一休がその活躍を止めないのはご存じの通り(?)ですが、それにしても……。と思いきや、結末は予想通りではあるのですが、朝松作品の妖術師にはお馴染みのあのポーズ(?)を、実に愉快な形で切り返す一休が印象に残ります。
「外法経」
こちらの記事をご参照下さい。
「朽木の花」
応仁の乱で京から逃れる最中、森とはぐれ、絶望に沈む一休。野伏に捕らえられ、彼らの命ずるままにとある寺に案内することになった一休は、そこで紹偵岐翁と名乗る壮年の僧と出会うのですが……
これまでいかなる魔物も悪人にも敢然と立ち向かってきた一休ですが、人間が起こした最も愚かな行為――戦争の前には無力な人間に過ぎません。本作で描かれる、生きる力を全て失って単なる老人となったような一休の姿は、衝撃的としかいいようがありません。
自らを何もできない朽木と自嘲する一休ですが、しかし――それでも人の心に咲く花は枯れることはありません。小さな一人一人の力、そしてそこに生まれる小さな奇跡の姿は、本書の「終幕」と呼ぶに相応しいでしょう。
しかし一休の復活、パワフルすぎる……
というわけで駆け足気味となり恐縮ですが、全十五篇を紹介させていただきました。舞台がほぼ京に限られる点や、物語のフォーマットがある程度固まっている点等、読む前はいささか気になっていたのですが、しかし実際に読んでみれば、ただ奇想に飛んだ、切り口豊かな物語の数々に唸られるばかりでした。(殺人鬼話が多い印象はありますが……)
もちろん本書に収録された物語は、長い一休の人生の一部であり、まだまだ語られざる物語は多いことでしょう。この先のシリーズにも期待したいところです。
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