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2023.05.27

田中芳樹『カルパチア綺想曲』 大冒険 古き時代の怪奇と新たな時代の科学と

 SF、ファンタジー、中国歴史ものと、様々なジャンルで活躍してきた作者は、欧州を舞台とした歴史活劇の名手でもあります。本作もその一つ――19世紀末、囚われの身であるハンガリー独立運動の旗手を救うため、カルパチア山脈に向かう英国人たちの冒険を描く一大活劇であります。

 時は1898年、「ロンドン絵入り新聞」の新米記者ジョーと同僚のアランは、久々に帰国した元下院議員でありジョーの父・ジェラードと再会した矢先、とんでもない冒険話に巻き込まれることになります。
 当時、オーストリア・ハンガリー二重帝国に併合されていたハンガリー独立運動で活躍してきたヴルム伯爵――ジェラードとは旧知の仲であるこの人物の子息・アランがロンドンを訪れ、カルパチア山中の要塞に幽閉されているのを救出してほしいと依頼してきたのです。

 二つ返事でこの依頼を引き受けたジェラードですが、口から先に生まれたような人物で、トラブルメーカーの父に、ジョーは憮然とした態度を崩せません。しかし特ダネ目当てにアランと共にこの冒険に参加することになったジョーは、ジェラードが中国から連れ帰った美しい妻・ランファと四人で、ブダペストに向かうことになります。
 そこでイオンや伯爵の同志の資産家・ルカーチ、どこかうさんくさいユダヤ人青年・トレビッチらと共に、伯爵救出計画を練る一行。険阻なカルパチア山脈の中、オーストリア軍が警備する要塞に如何に潜入し、老体の伯爵を連れ出すのか――ジェラードはそこで思わぬ策を披露するのでした。

 しかし、どこからかこの動きを察知した憲兵隊のノイマン中佐は、密かにスパイを送り込み、ジェラードたちの動きを探ります。さらにブダペストの夜には奇怪な獣の影が徘徊、ルカーチ氏の妻の周囲でも不審な事件が相次ぐなど、事態は混迷の度合いを深めます。
 そんな中、ついにカルパチアの要塞に向けて旅立つ一行。しかしその最中、思わぬ裏切りと、意外な真実が明らかになり……


 カルパチアといえば、怪奇小説ファンにはなんといっても、あのドラキュラの城が在った吸血鬼伝説の本場――あるいはヴェルヌの『カルパチアの城』が浮かぶのではないでしょうか。本作はこれらの作品を踏まえつつも(作中ではっきりと言及)、いかにも作者らしいキャラクターたちが活躍する冒険活劇であります。

 何しろ実質主人公格のジェラードは、元下院議員ながら、むしろ山師か冒険家か、と言いたくなるような破天荒な人物。これはこれで一個の快男児ですが、娘(そう、ジョーの本名はジョセフィン、歴とした女性であります)が事あるごとに反抗するのも理解できます。
 一方、彼らに対するオーストリア憲兵隊のノイマン中佐は、切れ者で冷徹な敵役――なのですが、この当時の人間としては破格なことに民族差別などは行わず、決して単純な悪役ではないのが面白い。しかしかといって正々堂々な人物ではなく、そしてどの民族を問わず、人間全てに冷徹なだけ――というのも、実にユニークで、不思議な魅力があります。

 本作はそんな食わせものたちを中心としたキャラクターが入り乱れることになりますが、しかし入り乱れるのはそれだけではありません。ブダペストを騒がせるジェヴォーダンの獣めいた怪物、そしてハンガリーで吸血鬼といえばこの人、な人物の後裔までも登場して、物語はグッと怪奇度を深めていくことになるのですから。
 その一方で、カルパチアに向かう手段には当時の最新の科学の成果(どちらかというとフィクションの成果?)を用いたりと、古き時代の怪奇と新たな時代の科学が取り混ぜられた趣向もまた、この舞台設定ならではというべきでしょう。

 そしてさらに物語は意外な方向に展開していくことになるのですが――特に後半で明かされるある真実には、なるほどちょっと不自然に見えた登場人物の行動にも確かな意味があったのか! と納得で、この辺りのドラマ作りの巧みさはさすがというべきでしょう。

 そして最後の最後まで油断できない大活劇の末に、物語は綺麗にハッピーエンド。一見ライトな手触りでも、中身のしっかり詰まった、娯楽小説のお手本のような作品であります。


『カルパチア綺想曲』(田中芳樹 らいとすたっふ文庫) Amazon

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