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2023.05.31

神永学『殺生伝 一 漆黒の鼓動』 開幕、命を吸う石を巡る争奪戦

 神永学といえば、『心霊探偵八雲』をはじめとするミステリの印象がありますが、『浮雲心霊奇譚』のような時代ものも手がける作家でもあります。そして本作もその一つ――戦国時代を舞台に、九尾の狐の怨念が籠もった殺生石を宿した姫君を中心に繰り広げられる、伝奇アクションであります。

 甲斐の武田晴信の大軍に攻められ、風前の灯火となった笠原家の志賀城――そこからただ二人落ち延びた笠原の姫・咲弥と警護役の紫苑は、山賊に襲われた末にはぐれ、紫苑は二人組の忍び・無名と矢吉に助けられるのでした。
 一方、川に転落した咲弥は、山奥で親代わりの老人・真蔵と共に暮らす少年・一吾に助けられます。咲弥を助けることを誓う一吾ですが、武田家の武将・穴山信友に仕える忍者集団・百足衆が襲いかかります。

 そこに現れた無名たちによって辛くも難を逃れた一吾と咲弥。合流した一行は、咲弥が追われるのは、彼女が生まれながら殺生石――かつて世を騒がせた九尾の狐が変じた石の欠片を宿しているためだと知ることになります。
 武田晴信を操り、持つ者に恐るべき力を与えるという殺生石を狙うのは、晴信の軍師を自称する怪人・山本勘助。彼が放った邪悪な妖魔たちを前に、咲弥たちは絶体絶命に……


 都で悪の限りを尽くした果てに追い詰められた九尾の狐が変じ、周囲に毒気を放って近づく者たちを死に至らしめたという殺生石。その後、玄翁和尚によって打ち砕かれたというこの伝説の魔石を巡る戦いが、本作の軸であります。

 莫大な価値を持つ秘宝を巡り、善魔様々な勢力が入り乱れての争奪戦は、時代伝奇小説の華であり、一つの典型といえるでしょう。その中でも本作がユニークなのは、何といっても秘宝――殺生石の危険極まりない性質によります。
 何しろ、この殺生石を宿す者は、たとえ深手を負ったとしても、周囲の者の命を吸収して回復し、決して死ぬことはありません。ある意味、己を守る最強の盾にして矛、それが殺生石なのです。

 つまり、殺生石を宿す者から、強引にそれを奪うことはできない。しかし宿す者もまた、それをその身から引き剥がすこともできない。そんな何とも皮肉な存在の殺生石と、それを宿した咲弥――本人の意思とは無関係に発動する殺生石に悩み苦しむ姿が痛ましい――の複雑な関係性が、本作の最大の特徴といえるでしょう。


 一方、一吾もまた、秘密を背負った少年であります。生まれたときから両親を知らず、ただ真蔵に育てられてきた一吾。自然の中で伸び伸びと育った明朗な野生児である彼もまた、(咲弥ほどではないようには思えますが)一つの宿命を背負った存在なのです。
 さらには油断のならなさと男らしさを併せ持つ自称上杉の忍び・無名、一吾の育ての親であり実は無名とも面識を持つ真蔵(その正体は何と!)、咲弥を守ることに命をかける美女・紫苑と登場人物も多士済々。敵対する武田側も決して一枚岩ではなく、穴山信友が一種第三勢力的な立ち位置となっているのも面白いところであります。


 正直なところ、物語はまだ始まったばかりといった印象で、主人公たちが追い詰められる展開がほとんどなのが何とも歯がゆいところではあります。
 しかしこのユニークな秘宝争奪戦がどこに落着するのか、そして物語の中心となる少年少女がその中で何を経験し、どのように成長するのか――この先が気になる物語ではあります(もっとも、現時点では第三巻までが刊行されたところで中断しているのですが……)


『殺生伝 一 漆黒の鼓動』(神永学 幻冬舎文庫) Amazon

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