『首ざむらい 世にも快奇な江戸物語』(その二) 不思議でユニークで、普遍的で重い物語
由原かのんの短編集『首ざむらい』のご紹介、前回の表題作に続き、今回は残る三篇を取り上げます。
「よもぎの心」
奉公している大名家の家臣・佐倉兵馬から、蓬に花が咲くか尋ねられた花作りの咲兵衛。それが彼と生きている佐倉が出会った最後となるのでした。
その日、外出した兵馬が戻らず、探しに出かけた咲兵衛は途中の河原で、頭に皿を乗せた裸体が片手に血の滴る短刀を、そしてもう一方の手には肉塊を下げた姿を目撃。そして後にその場所で佐倉が腹を切った姿で発見されるのでした。
佐倉は自分が見た河童に殺されたと考えた咲兵衛ですが、その後、佐倉の知人だという少年と出会った彼が知った真実は……
花作りの男の目を通じて、河童による武士殺しという奇怪な事件の顛末を描く本作。はたして佐倉は人の内臓を喰らうという河童に殺されたのか、だとすれば何故殺されたのか――一種の時代ミステリ的趣向を見せる物語は、やがて「被害者」と「加害者」の間にあったある繋がりを描くことで、全く異なる構図を描くことになります。
不幸な生い立ちの孤独な少年の魂と、周囲の人間たちの触れ合い。その顛末にはひどく苦いものが残りますが、しかし残ったものは悲しみだけではないと願いたくなる、そんな物語です。
「孤蝶の夢」
武家の親によって甲府の禅寺に入れられた後、転々とした末に今の寺に入った梛丸と、彼と同じ寺で暮らす少女・孤蝶。ある晩、自分たちを虐待してきた和尚が何者かに殺されたことを知った梛丸は、孤蝶を連れて飛び出すのですが――諏訪で行き倒れたところを、阿賀多と名乗る尼僧に拾われるのでした。
彼女に親切に手当された後、山仕事をしながら「すがり」(地蜂)を追っているという男・海蔵に預けられた梛丸。かつて忍びだったという海蔵の下で修行することとなった梛丸ですが、海蔵は孤蝶と逢ってはならないという条件をつけて……
親に捨てられ、周囲から虐待される中、妹のような少女と懸命に暮らしてきた少年の辿る運命の変転を描いた本作は、どこか不思議な味わいを残す物語であります。
本書に収録されているということは――と、展開を先読みしてしまうのですが、それはおそらく半分当たり、半分外れることになるでしょう。人の心の不思議さと、人の命の儚さを感じさせつつも、同時に血よりも濃い人の繋がりの強さが、暖かい余韻を残します。
「ねこまた」
荒物屋の伊文字屋に用心棒として雇われた牢人・猫矢又四郎。先祖が猫又を退治したという言い伝えのある又四郎に、伊文字屋は娘のお清の飼い猫が猫又になるかもしれないと語ります。
かつて父のために不幸な事件に巻き込まれて心を閉ざしたお清。自分も父が起こした事件のために苦労してきた又四郎はお清と心を通わせて行くのですが……
牢人主人公が、用心棒として入った先で奇怪な事件(?)に巻き込まれるという、ある意味一番「時代小説」らしい設定の本作。人の心がわかるという猫に加え、中に入った人間に不思議な影響を及ぼす狸穴なる魔所も登場し、ユニークな物語が展開することになります。
しかし本作で中心となるのは、むしろ親と子の関係性といえます。それぞれ、自分には与り知らぬ親の行いで苦しみを背負わされることとなった又四郎とお清。そんな二人がどのように親と向き合い、そして複雑な想いを昇華していくのか――奇妙でちょっとユーモラスな物語の中に重いものを描き、それでいて爽やかな後味を残す快作です。
以上全四篇を紹介いたしましたが、バラエティに富んだ作品の中で共通するのは、陰に陽に描かれる親子の姿であると感じます。
望んでなくとも生じて自分を縛り、あるいは望んでなくとも自分から離れていく親子の縁。そんなややこしいものといかに向き合い、受け止め、乗り越えるか――本書はちょっと不思議でユニークな物語の中に、そんな普遍的で重いものをさらりと織り込んでみせる、そんな短編集であります。
しかし一つだけうるさいことを言えば、本書に収録された物語は、これまで紹介したようにかなり重くシビアな部分も多く、「世にも快奇な江戸物語」という副題や、楽しさやユーモアを前面に出した紹介はちょっと――という気もするのですが、まあそれは感じ方ということでしょうか。
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