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2023.06.09

神永学『浮雲心霊奇譚 赤眼の理』 幕末の心霊探偵、初のお目見え

 神永学といえばやはりまず浮かぶのは『心霊探偵八雲』ですが、赤い眼の心霊探偵は一人ではありません。幕末の江戸を舞台に、憑きもの落としとして知られる赤い両眼の男・浮雲――現在第八作まで刊行されている時代ホラーミステリシリーズの第一弾であります。

 夜道で幽霊に出くわして以来、奇妙な行動を取る姉に心を痛め、出入りの薬売りから聞かされた憑きもの落としの名人のもとを訪れた絵師志望の青年・八十八。しかし彼の前に現れたのは、墨で眼を描いた赤い布で両眼を隠した怪しげな男・浮雲でした。
 毒舌に皮肉家、守銭奴の上に手癖は悪く、始終酒を呑んでいる浮雲に呆れる八十八ですが、他に頼れる者もなく、憑きもの落としを依頼することになります。

 しかし浮雲の憑きもの落としは些か独特――法力や呪文で幽霊を祓うのではなく、綿密な調査と推理により、幽霊を現世に縛り付けているものを見つけ出し、それから解き放つというものでした。
 かくて浮雲とともに調べを始めた八十八は、小夜が幽霊に取り憑かれた場所で、かつて絵師が臨月の妻を殺して自殺し、妻の腹の中の赤子が行方不明になっていたという凄惨な事件が起きていたと知ることになります。。

 どうやら姉に憑いているのが殺された絵師の妻らしいと知る八十八ですが、浮雲が解き明かす過去の事件の真実とは……


 という第一話「赤眼の理」から始まる本シリーズ。上に述べたとおり、浮雲の憑きもの落としの手段は力づくではなく、理に沿ったもの――一種の特殊設定ミステリというべきスタイルの物語です。

 そしてここで登場する幽霊は、(この先のエピソードの中でも触れられていきますが)あくまでもそれ自体には物理的な力はない一方で、人に取り憑くことによってその人間の体を操ることができるというのも面白いところであります。
 さらに、事件を引き起こしているのは幽霊だけではなく、背後には生きた人間の影が――というように、死者と生者の絡み合いの中で事件の真相が浮き彫りになっていく、というのが本シリーズの面白さといえるでしょう。
(特に本作では、この第一話がその観点からは最も完成度が高いと感じます)

 さてこの第一話では、浮雲と八十八の主人公コンビが描かれることになりますが、続く第二話、第三話において、シリーズのレギュラーとなるキャラクターが次々と登場することになります。

 とある武家屋敷に入っていく女の幽霊を目撃した八十八が、その幽霊が現れるようになって以来、屋敷の嫡男・新太郎が床に臥し、眠り続けているという事件に巻き込まれる「恋慕の理」では、新太郎の妹で剣術を得意とするヒロイン・伊織が登場。
 そして「呪詛の理」では、伊織の家の隣の屋敷で掛け軸の中から武士の幽霊が現れて女中を斬るという怪事件が発生。その掛け軸の、血刀を手にして四つの生首をぶら下げた異様な武士の絵を見た途端、浮雲はこの件には関わるなと八十八に言い捨て――と、画によって他者に呪詛をかける妖人・狩野遊山が出現することになります。

 さらに忘れてはいけないのは、八十八に浮雲のことを教えた石田散薬の薬売り――その名は土方歳三! 浮雲とはどうやら腐れ縁らしく、彼の頼みで様々な調べに当たる土方ですが、物腰は柔らかながら矢鱈と腕が立ち、八十八の目から見るとどうにも得体の知れない人物――この土方の内面が明らかになるのは、シリーズのだいぶ先――という設定も、なかなか面白いところであります。


 そしてこの土方の存在からわかるように、本シリーズは幕末、というより江戸時代末期が舞台となります。ただし本シリーズは時に幕末ならではの事件を描きつつも、細かい歴史描写は薄い点に、違和感を感じる向きもあるかもしれません。
 この辺りは、本作を通じて初めて時代ものに触れる読者を想定しての描写かもしれませんが、それと同時に、あくまでも物語が八十八――あくまでも平凡な江戸の庶民の一人――の視点から描かれている点も留意すべきなのでしょう。
(個人的には、この「普通の人目線」というのも貴重だと感じます)


 何はともあれ、浮雲と八十八――赤い眼の憑きもの落としと、絵師志望の普通の青年の奇妙なコンビによる物語はここに始まりました。続く物語については、また近いうちにご紹介いたしましょう。


『浮雲心霊奇譚 赤眼の理』(神永学 集英社文庫) Amazon

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