« 田中啓文『誰が千姫を殺したか 蛇身探偵豊臣秀頼』 | トップページ | 赤名修『賊軍 土方歳三』第9巻 »

2023.08.27

山崎峰水『くだんのピストル』四

 異能を持つ少年・くだんが、擬人化された犬たちが闊歩する幕末を目撃する異色の時代漫画の第4巻であります。ついに上海に渡った高杉晋作とくだんが、五代才助から受けた意外な依頼。そしていよいよ国内情勢も緊迫する中、帰国したくだんと岡田以蔵が見たものとは……

 自分以外、ほとんどの者が擬人化した犬がという幕末をさすらう、周囲の人間の心を読み取る力を持つ少年・くだん。そんな中、ピストールの力に魅せられた二人の青年、高杉晋作と岡田以蔵と、くだんは親しく交わることとなります。
 そして視察のために長州藩の人間として上海に渡る晋作を追いかけるように、自分も上海に渡ろうとするくだん。どこか謎めいた薩摩の青年・五代才助の協力を得て、ついに上海に降り立ったくだんですが……

 というわけで、この巻の前半は、物語の中心人物の一人である晋作とくだんの目に映った上海の姿が描かれることとなります。この時代の上海は、アヘン戦争の敗北によって清国内に生まれた外国領である租界であり――いわば、日本にとって最も近い欧米というべき地であります。
 太平天国に揺れる清国と、それを更に利用しようとする諸外国――一歩間違えれば日本もこうなりかねない地で、晋作とくだんが見たものとはなんであったか。幕末の上海を描いた、そして幕末の日本を海の向こうから描いた作品は存外に少ないだけに、その描写は印象に残ります。
(しかし上海租界はその後も広がり続け、日本もその占領者に加わることを思えば、何とも複雑な感慨を催すのですが)

 そしてここでクローズアップされるのが、スキンドルと五代才助であります。くだんが日本で行動をともにしていた謎のすたすた坊主から紹介されたスキンドルは、ピストールはおろか、黒船までも売っている商人。一方の五代才助は、後身の実業家・五代友厚としての名が歴史に残りますが、ここでは得体の知れない薩摩のエージェントというべき存在として描かれます。

 そしてここでくだんと晋作が才助から協力を求められた、スキンドルからの依頼とは――これがまたとてつもない内容なのですが、しかしここでの経験が、晋作にとっての「クウデタア」の始まりになったのではないかと、感じさせられます。


 さて、そんな波乱の末に帰国したくだんと晋作ですが、本作のもう一人の中心人物である岡田以蔵は、相変わらず武市半平太をはじめとする周囲の思惑と、「人斬り以蔵」の虚名にら振り回されるばかり。
 以前の吉田東洋に続き、今回も再び暗殺を命じられてしまった以蔵ですが、実はいまだに人を斬ったことがない上に、周囲には嫉妬の目で彼を見る者もいて八方ふさがり。何とか避けられないかジタバタした末に、彼はくだんと再会するのですが、再会したのはくだんだけでなく……

 というわけで、晋作は晋作で悩みが多かったわけですが、他人の命がかかっているという点ではより深刻な以蔵。こういう時に頼りになるのはくだんですが、ここで彼の前に現れたのは、両者にとって旧知の龍馬であります。
 しかし本作の龍馬は、いまやグラバーと組んでなにやら企むフィクサーめいた怪しげな人物。今回も、ボクシング賭博を企画して金を集めるという、何とも胡散臭い行動に出るのですが、そこで思いも寄らぬ人物が登場します。

 それはもう一人のくだん――長州の山県狂介の「飼い犬」だという寅吉であります。くだん同様、人々の言の端を聞き取る力を持ちながらも、素手で人を殺める技と、それを実行する心を持つ寅吉――くだんだけにその姿は犬ではなく人ですが、しかし遥かに危険な存在であります。

 本作においては、この世の外に踏み出した、ある種の自由な精神を持った者が、犬ではなく人間の姿で描かれてきました。だとすれば彼もそうなのか。しかしその心のあり方は、くだんとは同じとは思えません。
 そもそもくだんとは何なのか――そんな疑問も浮かぶ、急展開であります。


『くだんのピストル』四(山崎峰水&大塚英志 KADOKAWA角川コミックス・エース) Amazon

関連記事
山崎峰水『くだんのピストル』壱 少年の目に映った幕末を生きる者たちの姿
山崎峰水『くだんのピストル』弐 時代を打破する力に魅せられた二人の青年
山崎峰水『くだんのピストル』参 以蔵と晋作 垣間見えた青年たちの「顔」

|

« 田中啓文『誰が千姫を殺したか 蛇身探偵豊臣秀頼』 | トップページ | 赤名修『賊軍 土方歳三』第9巻 »